京都造形芸大に尹東柱詩碑建立 尹東柱の精神 後世に |
解放願い朝鮮語で詩作 朝鮮語の使用が禁じられた日本の植民地支配時代に朝鮮語での詩作を続け、その力強い作品が今も幅広く親しまれている抗日民族詩人・尹東柱(1917〜1945)をしのぶ詩碑が、尹東柱が暮らした「武田アパート」跡地の京都造形芸術大学高原校舎(京都市左京区)に建立された。23日、妹の尹恵媛さん(81)の参加のもと除幕式が行われた。同大関係者をはじめ同胞、日本人らがともに参加した。 国境越え愛される詩人
チマ・チョゴリ姿で参加した妹の恵媛さんは「兄が民族を超えて愛されたことを実感して感激している。兄と兄の詩を愛してくれるみなさんに感謝する」と語った。 「とてもやさしかった」と兄の思い出について語った恵媛さんは「弟思いだった兄は、家に帰ってきた時には2人の弟たちに朝鮮の民謡や童揺、詩、大学で学んだことを教えていた。兄がでかけようとすると弟たちは腕をつかんで離そうとしなかった」とほほ笑んだ。 恵媛さんは「碑を通じて過去の歴史を正しくみつめてほしい。兄が詩に込めた精神が永遠に受け継がれていけば」と願いを語った。 尹東柱は、日本の植民地支配時代に日本で詩作を続け、同志社大学在学中の1943年、「武田アパート」にいたところを警察に連行された。朝鮮語での詩作活動が独立運動とみなされ「治安維持法違反容疑」で逮捕され、1945年2月に旧福岡刑務所内で短い生涯を閉じた。 証言や研究資料によると当時の福岡刑務所の環境は劣悪で、とくに「治安維持法違反」で捕らえられた朝鮮人には食事も満足に与えられなかった。薬物投与の人体実験が行われたとの証言も残っており、尹東柱が亡くなった2月から3月にかけて数人の独立運動家がいっせいに命を落としたという、偶然では説明しきれない事実もある。 清らかで生命力あふれる
碑の建立に尽力した京都造形芸術大の仲尾宏客員教授は「彼の死の責任を当時の日本人だけでなくわれわれも負っている。碑を通じて多くの人に知ってもらいたい」と願いを語った。 碑を建立した京都造形芸術大は「詩作のとりで」であった地に「軍国主義に抵抗して母国語で詩作を続けた魂を留める」として、「尹東柱留魂之碑」と碑(高さ約1.2メートル)に刻んだ。 隣には、「死ぬ日まで空を仰ぎ…」から始まる尹東柱の代表作「序詩」(別掲)と生涯を朝鮮語と日本語で刻んだ石碑も建てられた。石碑と土台には日本と南朝鮮の石を使い、延辺にある尹東柱の墓と同じ形にした。 式では関係者が碑に込めた想いを語った。京都造形芸術大学の徳山詳直理事長は、朝鮮民族と日本の友好、朝鮮の統一への願いを語り、「尹東柱さんもそれを祈り続けているはず。私も一生をかけて取り組んでいきたい」と語った。 尹東柱が通った延世大学(当時、延禧専門学校)の鄭暢泳総長は「われわれは尹東柱の生命力あふれる作品からどう生きるべきかの指標を受け取った。彼の崇高な精神が人々の心に刻まれている」と語った。 京都造形芸術大、東北芸術工科大、弘益大(南朝鮮)の3校は3月、共同で東アジア芸術文化研究所を設立することを合意。その一環として碑が建立された。 仲尾教授は「彼の詩は清らかで美しく人間性にあふれている。自分が生きた時代に真正面からぶつかっていった彼の心に学んで、日本人と朝鮮民族が手を携えていかなければならない」と語った。(李泰鎬記者)
[朝鮮新報 2006.6.27] |