〈朝鮮と日本の詩人-14-〉 伊藤信吉 |
2002年に95歳で永眠した伊藤信吉は、私の知るかぎりでは、明治以後の日本の詩人のうちでもっとも永く生きた詩人である。彼が身近に接した詩人は島崎藤村、萩原朔太郎、室生犀星、高村光太郎ほか十指に余り、そして中野重治、壷井繁治をはじめとするプロレタリア詩人たちの多くがあって、日本近代詩、現代詩の歴史をそのまま歩んできたといっても過言ではなかろう。 信吉は1906年に前橋市で生まれ、同郷の朔太郎に師事して詩作を始め、プロレタリア詩人会の創立に参加し、つづいてプロレタリア文学団体「ナップ」に加盟した。 30年から32年にかけて、多くのすぐれたプロレタリア詩を発表して注目された。「燕」「パルチザンの春」「革命記念日に」などはプロレタリア詩史に残る名詩である。 しかし32年に治安維持法違反で逮捕され、拷問に抗し切れず転向した。このことは彼にとって生涯の深い傷となり、長年にわたって詩作を絶った。 信吉は、在日した朝鮮詩人・金龍済(転向して親日分子に転落した)と知己であったことも影響してか「海流」と題する詩で朝鮮をうたっている。 詩人は、自らを朝鮮人の立場に移し、故国に強制退去させられる不当を悲憤をもって詩行に組みたてている。 「波はおれの思いに凍る/波はおれの胸にしぶきをあげる/どこにおれの故郷はあるか」(第5連の3行)という詩句は、「故郷はあるか」と反語的語法で、植民地となった「故郷」はもはや本来のそれでないことへの怒りをあらわしている。1931年作のこの詩は「伊藤信吉詩集」(弥生書房)に収められている。(卞宰洙、文芸評論家) [朝鮮新報 2006.7.21] |