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11度目の訪朝果たした 平山郁夫・ユネスコ親善大使 今こそ文化交流の風吹かせよう

世界遺産に指定された徳興里壁画古墳の前で記念写真を撮った平山画伯一行(4月)

 ユネスコ親善大使の平山郁夫・前東京芸大学長(76)がこの4月、11度目の訪朝を果たした。04年7月の朝鮮民主主義人民共和国、高句麗古墳群の世界文化遺産登録に際して多大な尽力をした平山さんは、現在も朝鮮文化省文物管理局の要請を受けて、壁画保存のための多岐にわたるプロジェクトに幅広い支援を続けている。「高句麗古墳群は、人類の宝として守っていくべきだ」という強い信念を持ち続ける同氏に、今回の訪朝の意義などについて聞いた。

 5日の朝鮮のミサイル発射から一週間後の12日、日本国内の喧騒は増すばかり。鎌倉の緑豊かな閑静なお住まいを訪ねた。鎌倉駅からタクシーに乗り、行き先を告げると運転手さんから、「平山先生は、世界の文化財を支援するすばらしい方で、市民の誇りです」と話しかけられた。60年代から40余年間、100回以上もシルクロード各地を訪ね、そこで出会った文化遺産を保護するために心を砕いてきた同氏の志は、市民の間に敬意を持って受け止められていることを実感した。

 さっそく、平山さんにそのことを告げると、柔和な表情でこう語ってくれた。

柔和な表情で日朝文化交流の大切さを語る平山さん

 「文化遺産というものは、ただ単に古くに造られた建造品や美術品というだけでなく、歴史の生きた証人であり、人類全体が守るべき貴重な遺産です。私たちは国や地域を超えて、もっとグローバルな視点から、世界で協力し、これらを残す努力をしなければならない、それが私の提唱する『文化財赤十字構想』の原点です」

 平山さんのこの構想とユネスコの篤い支援を受けて、現在平壌市楽浪地区の大同江沿いに5000平方メートルの敷地面積を持つ5階建てビル(地下1階)の「高句麗壁画文化センター」建設が進められている。同センターは、当初の予定を大きく上回る規模で建設されており、高句麗壁画保存研究活動、国際学術シンポ、専門家養成のための教育などを担うことになる。

 平山さんはこれまでに美知子夫人と共に高句麗古墳群の世界遺産登録や同センターに協力するために、温室測定器、ビデオカメラ、パソコン、車両などを提供したほか、あわせて30万ドルを寄贈した。

 「『文化財赤十字』という考え方は、たとえ国交がなくても、あるいは紛争中であっても、敵、味方関係なく貴重な文化遺産を援助するということ。現在、朝鮮のミサイル問題で、日朝関係はまずい状況にある。国内の強硬派は、両国のあらゆる関係をストップさせようと言っているが、それはあってはならない。とりわけ高松塚壁画古墳やキトラ壁画古墳の源流でもある朝鮮との文化交流は、どんな政治の壁を超えてもやるべきだし、こういう時だからこそ、支援していくべきだと思う」

 世界に目を転じるとイラク、アフガニスタン、パレスチナと戦火が絶えない。その紛争地域にはほかの国々から武器が供与され、果てしない殺りくが続いている、と目を曇らす平山さん。

楽浪遺跡を前にスケッチする平山画伯(04年)

 「東アジアにおいては、60年経っても、日本の軍国主義時代の傷跡があって、日本の誠意がなかなか認めてもらえない。しかし、朝鮮側は、文化面において開放政策をとりつつあり、今回も、楽浪文化遺跡の共同調査を一緒にやりませんか、という申し入れもあった。これは平和へのソフトランディングにつながると思う。これを踏まえて私たちも『政文分離』をしながら、東アジア全体で高句麗古墳群を人類全体の遺産としていっそう支援し、守っていかねば」と指摘した。

 平山さんの長い間にわたる敦煌遺跡への支援によって、台湾の大学からも名誉博士号を授与され、また、高句麗古墳群の世界遺産登録への尽力に対して、韓国政府からも修交勲章が授与された。

 「日本はかつての戦争でアジア諸国に大変な被害と迷惑をかけた。戦後豊かになって、政治家も国民もそのことを忘れ、目先のことしか見えなくなってしまった。アジアや世界から信頼されるには、平和のために人知を尽くす以外にない。日朝関係は厳しいが、文化面の風通しが生まれ、正常化へのステップになることを願っている」と力強く語った。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2006.7.22]