「模写の迫力、宝の山」 朝鮮大学校・歴史博物館を見て |
多くの人に知らせたい
6月初め、東京都小平市にある朝鮮大学校歴史博物館にうかがった。初めて訪ねた朝鮮大学校は武蔵野のおもかげの残る閑静な住宅地にあった。正門受付の学生さんに来意を告げると、国際交流委員会事務局長の姜相根先生がにこやかに出迎えてくださった。私は考古学の研究者だが、同大学の歴史博物館でかねてより見たかったのは、2004年、ユネスコの世界遺産になった高句麗古墳、その壁画の模写である。ここには数多くの高句麗古墳の壁画の模写が展示されている。 「模写がそんなに意味があるのか、写真や実物があるじゃないか」と思う方もいるかもしれない。しかし、古墳壁画の研究と保存に、模写はとても大切なものだ。その理由を説明したい。 まず、模写は実物と同じ大きさで壁画を見ることができる。壁画古墳が一般に公開されることはきわめて少ない。石室を開閉すると温湿度が変化し、貴重な壁画の保存に悪影響を与えるからだ。まして現在、朝鮮半島北部や中朝の国境地帯に分布している高句麗の壁画古墳の内部を調査する機会は、専門家にもきわめて限られている。 そこで写真や発掘調査報告書の図面が研究の手がかりになるが、原寸通りの模写は写真に比し、量感が違う。たとえば、今春、日本の古墳壁画ではじめて一般公開された奈良県明日香村のキトラ古墳から剥ぎ取られた壁画の白虎(西を守る想像上の白い虎)は長さ約45センチ。 一方、歴史博物館に模写が展示されている高句麗の江西大墓の白虎は3メートル近くある。この量感は実際に石室で対面するか、模写でしか体感できない。どんなにすぐれた「高句麗古墳壁画写真展」でも、この点は模写にかなわない。 2番目に、ふつう、遺跡の記録は、写真、図面、文字の三つを使う。このうち、写真がもっとも客観性がある。図面は技術が確かなら寸法と位置はかわらないが、作成者の解釈が反映される。壁画古墳の場合も図面を描くが、壁画は色彩の変化とタッチがあり、通常の図面ではそこまで完全に表現できない。そこで模写するわけだが、図面や模写を描くとき、人間の観察眼、注意力はとぎすまされる。何をどう描いたか理解しなければ、紙に写せない。不鮮明な壁画の細部の観察には、原寸の模写が役に立つ場合がしばしばある。 3番目に、高松塚古墳の保存が問題になっているように、古墳壁画の保存は世界中どこでも苦労している。東アジア有数の歴史遺産である高句麗壁画古墳の調査が始まって約100年、この間にも日々、劣化が進んでいる。 東京大学工学部建築学科には20世紀初頭に日本人が調査した際の高句麗古墳壁画の模写が残っている。これは第一級の美術史家で画家であった小場恒吉らが描いたもので、これまでのどの写真と比較しても、この模写のほうが壁画は鮮明である。東大所蔵の模写は、今残っている記録の中でもっとも高句麗時代の現状に近いと言える。つまり、模写は後世に壁画を残す、有効な記録保存の方法なのである。 話を朝鮮大学校の歴史博物館に戻そう。この博物館には高句麗古墳壁画の模写が何十枚と展示されている。日本国内だけでなく、韓国でも一度にこれだけの数の高句麗古墳壁画の模写を見れるところはない。壁画の模写だけでなく、出土品や模型などにより、朝鮮半島の先史時代から古代の歴史を通史的に学ぶことができる。 5月、私も奈良県の飛鳥資料館へキトラ古墳の白虎を見に行った。別室には先述の東大所蔵の江西大墓の四神図の模写が1枚展示されてあった。その前で、ご婦人のグループが感心したように話を交わされていた。古墳壁画といえば高松塚やキトラになじみのある私たち日本人にとって、高句麗古墳壁画の大きさと迫力は印象的だ。朝鮮大学校歴史博物館には、それを伝える数多くの模写という宝の山がある。これがほとんど知られていないのが、朝鮮考古学を研究している私には残念だ。 朝鮮半島の最高の歴史遺産を日本で知ってもらうため、もっと多くの人に見に来てもらえるか、この資料をほかで展示するなり、大いに活用されることを願う。(南秀雄、【財】大阪市文化財協力会) [朝鮮新報 2006.7.26] |