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作家の辺見庸さん 本格的言論活動を再開

脳出血、ガンからの「帰還」、 「今ここに在ることの恥」刊行

 作家の辺見庸さんが、いよいよ本格的に言論活動に戻ってきた。7月30日、最新刊「いまここに在ることの恥−恥なき国の恥なき時代に」(毎日新聞社刊)を上梓した。4月に病で倒れて以来初めてとなる「自分自身への審問」(同上)を出版したばかり。また同氏は、4月の東京での講演会に続き、6月末には大阪・中之島公会堂での市民らの主催した講演会にも出演、約2000人の人たちが会場を埋め尽くし、割れるような拍手を送った。

 本書は4月の東京で行われた辺見庸講演会「憲法改悪にどこまで反対する」を改題し、講演草稿を大幅に修正、補充したもの。

 辺見さんは年3月、新潟での講演中に脳出血で倒れて半身不随になり、そのリハビリ中にガンが見つかった。その壮絶な闘病を経て、実に2年1カ月ぶりに公の場に表れた。本書では、「人としての恥ということ、ファシズムのこと、憲法のこと…等々、病に臥していたころからこれまでに考え、悩んできたことをお話しします」と熱く書き出している。

 辺見さんは倒れたあと、「意識を失ったり、記憶を乱したりというようなある種の臨死的な経験」をして、闘病していた2年を10年にも感じて過ごしてきた。そうして戻ってきた思いを「たくさんの友人たちの顔を横目にして、これを帰還というのか、ああ、長く遠い旅からやっとのことで引き返してきたのだな…すぐには言葉にはならないほど気持ちが高ぶっている」と述べ、いまの心境を「ただ、衝迫というのでしょうか、なにかを表現したいという気持ちがいま、病んだ躯の奥から突き上げてきているのです」と率直に表現する。

 辺見さんは1938年に発表された作家・石川淳の「マルスの歌」を引用しながら、日本におけるファシズム批判の限界について厳しく指摘した。

 「限界とは、明快かつ剛直に、ストレートに頑強にファシズムと闘えないこと。つまり、物質的にもファシズムまたは鵺的ファシズムに抗えないこと。ここに、歴史的にも明らかな限界があるし、逆にいえば、ファシズム受容の風土と伝統がこの国にはある」と。そして、ノーム・チョムスキーと会ったとき「まさに鉈でぶち切るように」聞かされた話を書いている。「−戦後日本の経済復興は徹頭徹尾、米国の戦争に加担したことによるものだ。サンフランシスコ講和条約(1951年)はもともと、日本がアジアで犯した戦争犯罪の責任を負うようにはつくられていなかった。日本はそれをよいことに米国の覇権の枠組みのなかで、『真の戦争犯罪人である天皇のもとに』以前のファッショ的国家を再建しようとした。一九三〇年代、四〇年代、五〇年代、そして六〇年代、いったい日本の知識人のどれだけが天皇裕仁を告発したというのか。あなたがたは対米批判の前にそのことをしっかりと見つめるべきだ−」

 辺見さんはチョムスキーの批判を、「陰影も濃淡も遠慮会釈もここにはありません。あるのはよけいな補助線を省いた恥の指摘でした」と受け止めた。

 06年の1月までに自衛隊は5回も本隊をイラクに派遣、そしていまや憲法改悪のために国民投票法が国会に上程されようとしており、教育基本法改悪、共謀罪成立の動きもある。「幾何級数的になにか悪いものが拡大し、増殖している。しかし、本当のことをいうと、誰も命を賭けてまで抵抗なんかしていないと、私は思います。…いまや反動が際限なく拡大している」と繰り返し警告を発する。

 そのうえで本書でも、講演のなかでも何度も辺見さんが強調してやまないのは、「人間であるがゆえの恥辱」についてである。それは「私が死ぬまで引きずるテーマ」だという。

 「この国はアジアで2000万人もの人々を殺しておきながら、じつはそれを徹して内省し掘り下げた普遍的なテキストをまったくもっていない。もっていないどころか、つくらせないようにし、負の歴史を塗りかえ、居直ってもいる珍しい国」−日本への深い絶望と怒りが伝わってくる。そして、「この国の者たちの歴史に関する驚くべき無恥、無知、重篤な健忘症」にも言及する。

 「朝鮮半島、中国でくりひろげてきた、ほとんど名状が困難なほどの犯罪。…皇民化政策も創氏改名も『日帝三十六年』も朝鮮教育令、朝鮮人強制連行も忘れ去り、忘却することで居座る。恥知らずなみずからの尊大さにも気づかない。そうした空気が知らない間に蔓延している」と厳しく批判する。

 そして、巻末でこう熱く呼びかけている。「もう居心地のよいサロンでお上品に護憲を語りあう時代はとっくに終わっている。一線を越えなければならない。改憲反対をいうこと自体はたいしたことではない。ただ、たいしたことなのは、そのために指の先から一滴でも血を流す気があるかどうか、そのことではないでしょうか…。一切の冷笑を殺し、万分の一でも実存をかけること」だと。

 不自由な体、足を引きずりながら歩を刻む辺見さん。パソコンも一字一字、左手でゆっくりと。しかし、血を吐く思いが詰まった本書には、徹底した狂の時代に立ち向かう人間の揺るぎない精神と知力が満ち満ちている。(辺見庸著、毎日新聞社、TEL 03・3212・0321)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2006.8.9]