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〈人物で見る朝鮮科学史−17〉 渡来人とキトラ古墳(下)

 キトラ天文図は現存する世界最古の天文図といわれているが、その原図は高句麗のものであった。すると一つの疑問が生じる。それは「天象列次分野之図」も高句麗の石刻天文図を復刻したものなのに、両者に違いがあるのはなぜかということである。

天象列次分野之図

 それを考える前に具体的な違いを見ておこう。

 一番わかりやすい例として「弧矢」という星座を取り上げよう。天狼星(シリウス)を的にして引かれた弓矢のような星座であるが、キトラ天文図ではその矢が1本なのに「天象列次分野之図」では2本となっている。1247年に製作された中国の「淳祐石刻天文図」も矢が1本なので、キトラ天文図は中国の影響を受けたと主張する際の根拠の一つとなった星座である。

 しかし、それは観測地点の特定によって決着をみたわけであるが、その違いの理由は未解決の問題として残されていた。その答えとして高句麗には2種類の天文図があったことも否定できないが、ここでは別な可能性を指摘しよう。

 1395年製作の「天象列次分野之図」は、高句麗石刻天文図を復刻させたものといわれるが留意すべき点がある。それは、完全にそのまま写したのか、ということである。

 実際、当時の学者たちは復刻に際して、地球の歳差運動による星の位置のズレを是正したとしている。そうであれば星の数や星座の形など、自分たちの観測記録を基により正確に図を作成したことは充分にありうる。

奈良県明日香村にあるキトラ古墳天文図の見取図

 キトラ天文図の星の数が約350個に対し「天象列次分野之図」は約1500個である。同時代にこれほど数の違いがある2種類の天文図があったとは考えにくく、事実は高句麗石刻天文図がキトラ天文図に近く、「天象列次分野之図」は後に星を付け加えたと考えるほうが自然ではないだろうか。むろん、逆に石刻天文図の星を省略しキトラ天文図を描いた可能性もあるが、壁画古墳の星宿図から直ぐに「天象列次分野之図」の原図への発展は困難と思える。

 このような視点に立てば、古朝鮮支石墓の蓋石に描かれた天文図から高句麗壁画古墳の星宿図へ、次にキトラ天文図の原図となった石刻天文図からより精密な「天象列次分野之図」へと、朝鮮の天文学の確かな発展過程をたどることができる。ただ、高麗時代の天文図が王陵に描かれた星宿図しか知られていないのが、残念なところである。

 最後にキトラの語源であるが、地名の「北浦」がなまったという説と、盗掘穴から中を覗いたときに亀と虎が見え「亀(き)虎(とら)」と名づけられたという説がある。「キトラ」という神秘的な響きからすれば、ちょっと平凡すぎる感がある。古代朝鮮語に「キトラ」を意味する言葉がないのかと、多くの人が考えるところではないだろうか。(任正爀、朝鮮大学校理工学部助教授、科協中央研究部長)

[朝鮮新報 2006.9.2]