〈金剛山歌劇団秋田公演〉 金剛山歌劇団の活動に共感、作家・野添憲治さん |
人々の思い モチーフに 前夜祭の会場には、先ごろ「みちのく・民の語り」全6巻(社会評論社・各2500円+税)を上梓したばかりの農民作家・野添憲治さんの姿もあった。花岡事件はもとより、中国人や朝鮮人の強制連行の聞き書きを四半世紀近く続けてきた。その仕事は自然に消えてしまう現実と対峙するばかりではない、過去を抹消し、隠蔽、忘却しようとする現実とも格闘する厳しい歳月だった。 「でも、いまが一番酷いな。世の中どんどん不安な時代になって、戦前の状況に似てきた」というのが野添さんの実感だ。拉致やミサイル問題を口実に日本が軍事大国化に突き進むことは、アジアの民衆にとってはとうてい容認できないことだろうと語る。
「だからこそ、普段からの交流が大切だ。金剛山歌劇団のような朝鮮の芸術を見て、民族の伝統や文化のすばらしさを市民が実感できれば、戦争は起こらないし、簡単にはだまされない」 野添さんの原点は1945年6月30日、秋田県北、鹿島組花岡出張所に強制連行された中国人たちが、圧制に抗して蜂起した花岡事件にある。野添さんは花岡と山を隔てた白神山地の麓、藤琴町(現=藤里町)に暮らす10歳の少年だった。 「中国人が来た」と村中が大騒ぎになった。山を越えて逃れてきた中国人が捕らえられたのはその数日後。村役場に隣接する小学校で、野添少年はほかの子どもたちと共に、後ろ手に括られた2人の中国人をはじめてみた。その彼らに唾をかけ、「ばかやろう」と叫んだ野添少年らを、大人たちは「よくやった」とほめた。 その2人が花岡事件の中国人たちだったと知るのは、聞き書きの仕事をはじめた20代後半のことである。戦争責任は少年の日の記憶、そして、自らの行いと不可分のものとなった。 誰のものでもない、自らの歴史に向き合い、真実を掘り起こす活動こそ、今求められていると力説する。 35年前に花岡事件の本を出したときは、「何で日本の恥部をさらすのか」と2年間毎日、脅迫電話がかかってきた。しかし、ひるまず、屈することなく、日本の戦争が引き起こした歴史と格闘しつづけ、11年前からは秋田県内の朝鮮人強制連行の聞き書きを続けてきた。その一方で、 6〜7年前からは全国各地の35カ所の事業所を調査、朝鮮人、中国人の強制連行の跡をたどっている。 「どこも骨がいっぱい出てきますよ。まさしく日本中、朝鮮人と中国人の骨だらけといってもいい。きちんと埋葬もされていない」 北海道北見に近接する置戸町に住む92歳の老女が「死ぬ前に話せてよかった」と当時のことを証言してくれた。 言い知れぬ人々の思いを聞き、記録する−そこに自らの経験をモチーフとして、野添さんが続けてきた仕事の豊かさがある。そして、金剛山歌劇団が刻んだ歩みにも、まさに同じ実りがある。同化や抑圧にも屈せず、民族文化を脈々と受け継ぎ、多くの人々の心に平和と友好の灯を点し続けた力強い足跡が刻まれているのだ。(文−朴日粉記者、写真−文光善記者) [朝鮮新報 2006.9.5] |