〈朝鮮と日本の詩人-19-〉 郡山弘史 |
1930年代にプロレタリア詩人として活躍した郡山弘史は、仙台の東北学院英文科を卒業したのち、1924年から28年まで京城府立第一普通高等学校の教師を務めたことがある。その間に「京城詩話会」を結成して詩を書き始め、プロレタリア詩人会に加わってナップでも活躍し、26年に生前唯一の詩集「歪める月」を出した。敗戦後は仙台で民主的文学運動にたずさわった。弘史は在朝鮮の体験から「ちある・か・しよ」「くるとうく」「京城駅」と題する三篇の詩を残した。 間断なく吐瀉し/間断なく吸血し/三百万円の衣裳に装飾され/傲然と日本の奴隷朝鮮の真っ只中に突立するお前/巨大な図体を誇り/どす黒い嘲笑をまき散らし/貪欲な瞳を光らし/お前はお前を建築した民族を圧死する 自らの歯ぎしりで聾者となったお前/自らの煤煙で盲者となったお前/その無恥その怒号/そしてお前は平然と囁いている/「奴ら 白衣の住民どもを ぶち毀すのはパガチを割るよりも易い」と/「凍えるって?/飢えるって?/さうだ 逃げたければ逃げる/満州が奴らの墓場になるだけさ お前近代日本を誇る完備せる交通機関/朝鮮民族の屠殺機!(「京城駅」全文) 直截的な表現と、ややシニカルな詩的リズムが、この種のプロレタリア詩にありがちな生硬さを醸し出しているといえなくもない。しかし、テーマがテーマであるだけに、粗鋼のような硬質なリズムが詩的効果として息づいている。「歯ぎしり」=「聾者」、「煤煙」=「盲者」、「ぶち毀す」=「パガチ」という比喩が巧みで、この詩を詩たらしめる一つのエレメントとなっている。(卞宰洙、文芸評論家) [朝鮮新報 2006.9.28] |