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平壌・「南北コリアと日本のともだち展」に参加 画家、イラストレーターの黒田征太郎さん

「優しさ」自己表現

インタビューに答える黒田さん(11日、大阪市内)

 朝鮮半島と日本に住む子どもたちの絵画交流「南北コリアと日本のともだち展」が8月に平壌で行われた。実行委員会のメンバーや朝鮮学校の生徒、教員らとともに朝鮮を訪問し絵画展に参加した画家、イラストレーターの黒田征太郎さんに、平壌での子どもたちとの交流、訪朝の感想などについて話を聞いた。

 「征太郎の征は征服の征。戦争を連想させるので好きじゃない」と語る黒田さんは、1939年生まれ。国民学校入学後に「8.15」を迎えた「最後の国民学校生」だ。幼い頃の思い出といえば、兵隊や空襲の光景が浮かぶという。

 神戸で空襲に見舞われ、疎開した滋賀で10年間生活した。戦後に父親を亡くした黒田家は「敗戦後も戦争が続いていた」。

 「戦争に巻き込まれた市民は衣食住を失い、戦争を引きずる。子どもたちや女性まで巻き込まれていく−この視点から何か言えないかと常に考えている」

 戦争に振り回される中も、絵と音楽に出会った。

絵を描く黒田さんを真剣に見つめる平壌の小学生たち(チャンギョン小学校)

 「生活の中で青い空、露草の香り、鳥の鳴き声−そういうものに心を慰められた。人間は残酷さとともにこういった優しさを持っている」

 黒田さんは、この「優しさ」の面で自己表現したいという。そんな時、平壌への誘いを受けた。

 今回は7年ぶりの訪朝。情勢も変わり、周囲からは「描きたいものが描けない、言いたいことも言えない」と不自由さを心配する声もあったという。だが、「ぼくはぼく。一つの顔しか持たない。東京でもニューヨークでも平壌でも、青は青。正直に平壌の人たちと話したい」と迷いはなかった。

通じ合った心

 7年ぶりの平壌は「驚くほど活気に溢れていた」。街には屋台が並び賑わいを見せ、住宅のベランダには植物などが並べられていた。両親と子どもが手をつないで歩く姿も多くみられ、強く印象に残っているという。

 「日本のようなネオンはなくても、一生懸命に生きようとする市民の姿、活気ある平壌には、ぼくらが失った何かがある」

子どもたちにクレヨンを配る黒田さん(チャンギョン小学校)

 平壌市内の小学校で子どもたちと交流した。迎えてくれた校長先生と世間話をして互いに気持ちがほぐれた。そんな様子を見た子どもたちにも親近感が伝わったのか、黒田さんがセミの鳴きまねをすると教室は笑いに包まれた。

 黒田さんは、子どもたちに一緒に絵を描こうと持参した絵の具と紙を配った。黒田さんの描いた絵の上に自由に描いていく子どもたちの目はキラキラしていたという。

 日本を発つときの関西空港の空は青かった。平壌で教室の窓から見えた空も同じく青かった。セミの鳴き声も通じる。そして子どもたちのキラキラした目、旺盛な好奇心、描くものすべて、日本の子どもも米国の子どもも、まったく変わらなかったという。

 絵を専門に学んでいる学生らとも交流した。黒田さんが汗だくになりながら絵を描いていく姿を見せると、学生たちは「ワーッ」と反応したという。絵の好きな者同士、心が通じ合った。

 日本では「選別された子どもたちでは」と詮索する人もいるが、一度足を運んで子どもたちに接してみると感じることがあるという。「絵や音楽は国境、人種、年齢、性別を突き抜ける」。平壌の人たちともわかり合えるのだという。

 「子どもたちは特別な存在。大人がどんなにふたをしようが子どもたちが持っている可能性まで閉じ込めることはできない」

「来年も行きたい」

平壌で開かれた絵画交流「南北コリアと日本のともだち展」(8月、ルンラ小学校)

 「ぼくは日本にも米国にも朝鮮にも、どこにも肩入れはしない。唯一するとしたら子どもたちの味方だ。東京の子もニューヨークの子も平壌の子も、みんな等しく愛しい」

 世界のさまざまなところで子どもたちのキラキラした目を見てきた黒田さん。大人になるにつれて目が曇っていく−そんな世界を作っている大人の一人としての自分に嫌気がさすときがあるという。

 黒田さんは「国家は残酷で人々を救わない」と「国家」への不信を語る。日本は1945年6月に沖縄の人を放り出した。強制連行した朝鮮の人たちも放り出し、税金だけ払わせて権利を与えず、今では往来すら制限している。米国に餌付けさせられたままの日本は一度どん底に陥った方がいいのでは、と思うこともあるという。

 「日本や米国での蜂の巣をつついたような騒ぎ方は弱い者いじめの構図。平壌を擁護する訳ではないが、何万発の核を持っている側が何を言っているんだと言いたい」。こう語る黒田さんは、交流が閉ざされ、子どもたちの可能性が制限されることを憂慮する。

 黒田さんは「いろんな人が行ってみるといい。中国から陸続きで川を歩いて渡って行くのもおもしろそうだ」と楽しそうに語る。

 日本では、「朝鮮には悪魔が住み灰色の空の下で人々が暮らしている」という暗いイメージで語られることが多い。黒田さんの平壌での交流は、そんな「うその言説」をすっきりと晴らすものだった。

 「平壌の空はどこまでも青く、日本と同じくセミが鳴き、そして子どもたちの目はキラキラしている」

 黒田さんは「ぼくみたいなやり方もあるし、ほかのやり方もあるだろう。自分は絵が好きだし、子どもが好きだから…。来年もぜひ平壌に行きたい」と笑顔で語る。(李泰鎬記者)

[朝鮮新報 2006.10.18]