「子と孫がつづる李分出物語」 大切な在日1世の生活記録 |
ハルモニへの溢れる愛と感謝
9月4日、大勢の親戚らが集うなか、母方の祖母の10周忌法要を無事に終えた。祖母は6人の子宝に恵まれた。儒教的価値観が生活の隅々に行き渡っていた時代、家の嫡男となる男の子を産まねば「うちの嫁」として認められなかった時代に、長女から5女まで女の子が続いた。祖母にしてみれば、さぞや気を揉んだことだろう。男の子をという願いが神に届いたのか、6人目の子にして嫡男誕生となった。 月日は光陰の如く流れ、祖母の子らはそれぞれ伴侶を得、その孫らが結婚し、今では数十人の大家族となった。私たち親族の中では、むつまじく義に厚い祖母らの一家を「志木一族」と親しみを込めて呼んでいる。埼玉県志木市で一人暮らしの祖母の元に、何かにつけて集う家族たちだったので、いつの頃からかそう呼ぶようになった。親愛と尊敬の念を込めながら。祖母が逝ったあとも、親族が集う場では必ず祖母の思い出話で盛り上がったものだ。10年という年月が流れたが、祖母への思慕の想いはより鮮明に確かなものとなって、私たち親族の心から離れることはない。
祖母の10周忌法要を前に親戚一同が集まったおり、やはり話は生前の祖母のことに落ち着くのだった。その時、4番目の叔母がみなに提案した。 「ねえ、みんな、ハルモニのことを懐かしむのはいいけれど、いつまでも悲しい寂しいばかりじゃだめじゃない。ねえ、10周忌を節目にみなで文集作りましょうよ。あのハルモニの子や孫として何か書きましょうよ」と。 この言葉がきっかけとなり、結局は専門の企画業者にまで依頼して、本格的な文集を上梓することとなった。平凡な家族が亡き祖母を偲び、これからの人生への思いを綴った文集を出版。在日コリアンの社会では、珍しい試みとなった。文集制作のさまざまな紆余曲折を乗り越えられた力の源は、ハルモニへのみなの想いだった。文集タイトルはハルモニの名をそのまま載せた「子と孫がつづる−李分出物語」とした。
日帝植民地時代の差別と迫害、解放後の混乱期と生活苦の中で、6人の子を民族魂の芯がしっかりとすわった「朝鮮人」に育て上げたハルモニ。慶尚南道からハルモニの手に引かれ海峡を渡り、ハルモニと共に時代を駆けてきた伯母らの文、ハルモニの慈しみの中に育った孫たちの文、そして嫁いできたミョヌリ(嫁)やサウィ(婿)らの文。その行間にはハルモニへの愛と感謝の思いが溢れ、その文章はハルモニの波瀾万丈の人生そのものを映し出している。 文集完成の日、みなそれぞれが読み耽っている中、4番目の叔母は言った。「この文集はハルモニの思い出集ではないのよ。ハルモニのような1世たちの歴史の話なのよ。私たちの孫やそのまた孫たちにまで伝えなければならない、大切な在日1世たちの記録なのよ」。 三重の苦難を全身で切り開き、今日の私たちの暮らしの礎を築き上げてきた「魂」の人々、在日朝鮮人1世。祖国解放61周年を迎えた今日、いまを生きる私たちの世代には、在日1世ハラボジ、ハルモニらの「生きた歴史」を次世代へ確実に正確に伝える義務がある。 完成した文集を手にとってみて、「記憶」によるだけでなく、「正確な記録」として残すことの意義深さをあらためて思った。 私たち一族の亡きハルモニとの語らいは、文集上梓を契機によりいっそう深まったのである。(尹紀純、神奈川朝鮮中高級学校教員) [朝鮮新報 2006.10.28] |