top_rogo.gif (16396 bytes)

京都コリアンサロン「めあり」 「高句麗壁画古墳展」華やかに開催 朝鮮の軽視は史実に反する

上田正昭・京大名誉教授が記念公演 歴史に学び朝・日相互理解の輪を

記念公演する上田正昭・京大名誉教授

 朝鮮の高句麗壁画古墳の魅力を最新の写真で紹介する「高句麗壁画古墳展」が10月31日から今月12日まで、京都市左京区の京都市国際交流会館で開かれた。同展はコリアンサロン「めあり」(財)京都市国際交流協会、総連京都府本部、民団京都府本部)3周年記念事業として、共同通信社との共催で開かれたもの。会場には4世紀後半から7世紀初めの6基の古墳内部に描かれた当時の生活風景や傑作中の傑作と言われる朱雀、玄武など4神図などの壁画の写真60点が展示され、たくさんの市民と同胞らが足を運んだ。

 4日午後、京都国際交流会館では、歴史学者の上田正昭・京都大学名誉教授(80)が「世界遺産 高句麗壁画古墳の歴史的遺産」と題した記念講演を行い、約230人の聴衆が熱心に耳を傾けた。

 上田さんは、日朝間の厳しい情勢の中、京都でも在日朝鮮人へのさまざまな圧迫が続く中で、コリアンサロン「めあり」3周年を祝って「高句麗壁画古墳展」を開催できたことは大変力強く意義深いと指摘し、「東アジアでは日韓間に竹島(独島)問題、日中間に尖閣諸島問題、日ロ間には北方領土問題などがあり、領土問題をめぐって国益が鋭く対立している。

会場いっぱいに詰めかけた聴衆

 しかし、あらゆる国の政権は交替する。永遠に続く政権はこの世に存在しない。国家の利益を第一に考える『国際』には限界がある。だからこそ、民衆と民衆の交わりこそが大切である」と語った。

 およそ20年前から同氏は「民際」という言葉を使ってきたと述べ、「国際という言葉は国と国の関係を示したもの。国があっての人ではない。国より先に民族があり、民衆がいる。今日、民際という言葉が定着しつつあるのはうれしい」と語り、コリアンサロン「めあり」は、まさに「民際」の具体化であると強調した。

米国一辺倒はいけない

 同氏は日本はアジアの一員であり、朝鮮半島は一番近い隣人であると指摘しながら、「日本はアジアを軽視して米国一辺倒になってはいけない。近い国と友好関係を築けなくて、どうして遠い国と仲良くなれるのか」と問いかけた。

 さらに東大寺正倉院(国宝9000点)に所蔵されている文物について、「古代ペルシャ、古代インド、唐との関わりについては知っていても、かなりの新羅物があることを知る日本人は少ない」と指摘して、「朝鮮を軽視することは史実に反する。日本の文化がすべて朝鮮に由来するというのはまちがいである。南島、中国、インド、モンゴルとの関わりもある。しかし、朝鮮の文化が古代日本の文化形成に与えた役割は、これまであまりにも過少評価されてきた。朝鮮を無視するのは、歴史をゆがめることであり、イデオロギーで歴史を解釈するのはまちがいである」と強調した。

飛鳥文化の国際性のカギ

京都市で開かれた「高句麗壁画古墳展」の会場(京都市国際交流会館)

 上田さんは朝鮮社会科学者協会の招待を受けて、3回訪朝。80年8月の初訪問時には、外国人としては初めて徳興里壁画古墳や定陵寺跡なども視察した。朝鮮の研究者たちと発掘調査の成果をめぐって平壌でディスカッションをしたことも。韓国にも10回以上、中国、沖縄にも数え切れないほど足を運んだ。

 当時の印象について、「朝鮮文化の源流を知るうえで高句麗壁画は大切な遺物である。遺物はうそをつかない。2年前、世界遺産になった徳興里壁画古墳は200人に近い人物のほか風俗・信仰、天の川、牽牛・織女のほか道教の信仰を示す玉女・仙人が描かれている。その女性像は高松塚古墳の女性像と類似する。徳花里2号墳の星宿図、江西大墓や中墓の4神図と高松塚の星宿図、4神図との比較もなおざりにできない」と述べた。また、同氏は高松塚壁画検出の折、京都府の南部に居住していた高句麗系の渡来画師集団のリーダー黄書造(連)本実が脚光を浴びたと述べた。

 さらに同氏は、妃橘郎女が聖徳太子の菩提を弔って采女らに作らせた「天寿国繍帳」(中宮寺蔵)には、高句麗系の高麗加西溢、百済・伽耶系の漢奴加己利・東漢末賢、新羅系の椋部秦久麻らが作成に深く関与したと指摘。「繍帳」に描かれた風俗がいかにも朝鮮風であることにはけだしいわれがあると述べ、「飛鳥文化の国際性を朝鮮半島渡来の文化を抜きにして、その実相に迫ることはできない」と語った。

 上田さんは朝鮮三国、隋とも巧みな自主対等の平和外交を展開し、古代日本の礎を築いた聖徳太子の功績と近代になって「脱亜入欧」を唱え、朝鮮を軽視した福沢諭吉を対比させながら、「自国の歴史と相手の国の歴史を理解し、尊重しあうのが、『民際交流』である。歴史に学んで謙虚な姿勢で、日朝が手を取り合って、相互理解の輪を広げていこう」と訴えると満員の聴衆から大きな拍手が送られた。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2006.11.13]