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〈人物で見る朝鮮科学史−19〉 新羅の科学文化(1)

 現在、朝鮮半島には2004年に登録された高句麗壁画古墳群を含めて8つの世界文化遺産がある。そのなかでもっとも多くの遺跡、遺物があるのは新羅の古都・慶州である。新羅には、紀元前57年の朴赫居世の時代から935年高麗によって滅ぼされるまで約千年の歴史があり、古代から中世の多様な遺跡が残された。他方、地理的に釜山からソウルへの幹線ルートから外れた場所にあり、それによって開発を免れたことも要因の一つとして挙げられている。

瞻星台の全景(慶州市)

 新羅の歴史は大きく二つに分けることができ、三国鼎立時代が前期、高句麗、百済を滅ぼし大同江以南を領土とした676年以降が後期である。以前、「統一新羅」と呼んだ時代を「後期新羅」とするわけであるが、その理由と経緯についてはいずれ述べることになるだろう。

 さて、新羅の科学文化というと誰もが思い浮かべるのは慶州の瞻星台である。善徳女王時代(632〜647年)に建立された瞻星台は、現存する世界最古の天文台としてギネスブックにも登録されている。

 底辺の四角い基壇の上に、円錐状に362個の花崗岩で27段を積み上げ、最上部に「井」字型に加工した石を配置している。高さは約9メートル、中間の真南に向いた窓までが約4メートルで、その下の内部は石と土で埋められている。四角い壇の上に円柱を築くのは東洋の伝統的宇宙観である「天円地方」説を象徴し、また、その形は女性のチマや祭器を置く器台を模したともいわれている。

 たしかに、その形体は天文台としては異彩を放ち、そのことから瞻星台は本当に天文台かどうか、学界で熱い論争が繰り広げられたことがあった。仏教の天上界にそびえる須弥山を表した建造物、祭事を行う祭壇、その影によって方向や時刻を知るノーモン説など、当時の「韓国科学史学会誌」を見ると相手の人格を攻撃するほどに論争がエスカレートしていたことがわかる。見方を変えれば、それほどに瞻星台は朝鮮科学史の重要対象ということなのだろう。現在では、天文学の意味を広く解釈し、また、「瞻」という字は仰ぎ見るという意味であり、それをそのまま受け止めて瞻星台は天文台ということに落ち着いている。

 さらにもう一つ、慶州は観光名所として知られ瞻星台も当然見学コースに入っているが、しばしば観光客からがっかりしたという声が聞かれるそうである。有名な兪弘濬「私の文化遺産踏査記」(邦訳、法政大学出版局)にも、「慶州に対する失望の象徴、瞻星台」と書かれている。ただし、そこには教科書などで瞻星台を絶賛しているが、その根拠を説明しておらず、そのようなことが起こるとも書いている。文化遺産を評価するためにはある程度の予備知識、すなわち「見る眼」が必要ということである。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授、科協中央研究部長)

[朝鮮新報 2006.11.18]