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〈朝鮮と日本の詩人-21-〉 小熊秀雄

 朝鮮の植民地的悲惨を詩人の慧眼と瞋恚をもって告発した小熊秀雄の「長長秋夜」(詩人はこの題名に「ぢゃんぢゃんちゅうや」とルビをふっている)は全269行の長詩であるが、そのうちつぎのような19行がある。

 近頃はなんと、そわそわしい風が/村の人々の白衣の裾を吹きまくり/峠を越しさえすれば/峠のむこうに幸福があるといいながら/村を離れて峠を越したがり/追い立てられるように/若い者は峠を越えてゆく/お前の可愛い許婚は貧乏な村を去って行った/いまは壮健で東京で/働いているさうな/そしてゴミの山やドブを掘っくりかえして/金の玉を探しているさうな/一つ探しあてたら/すぐ処女よ、お前を迎えにくる/ああ、だがそれはいったい/何時のことやら/去っていくものはあるが/帰ってくるものがない

 「朝鮮よ、泣くな」という初行で始まるこの詩は、1935年に詩誌「詩精神」に発表された。

 弾圧と生活苦に追われて日本に渡ってきた在日一世たちの労苦の姿が「ゴミ」と「ドブ」という端的な詩語で表出されている。

 詩の全体は、白衣の着用禁止で面長にチョゴリを墨で汚された老婆が、自分をとりまく恐ろしい現実を呪いながら、洛東江の岸辺で洗濯をするという物語であるが、全編を通じて、小熊のプロレタリア国際主義の精神が脈うっている。

 小熊秀雄は少年時代から10余種の職業を転々としながら詩人の資質を開花させ、プロレタリア詩人会とナップに加盟した。

 弾圧につづく作家、詩人たちの転向でプロレタリア文学運動が退潮期に入った時代に、「しゃべり捲くれ」という詩が象徴しているように、すぐれたプロレタリア詩を書きなぐるようにして発表した。

 日本現代詩の高峰の一つを占める小熊はあくまでも抵抗の詩精神を固守したものの、貧困のうちに齢不惑にして無念の死をとげた。

 岩波文庫「小熊秀雄詩集」がある。(卞宰沫、文芸評論家)

[朝鮮新報 2006.11.22]