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〈朝鮮と日本の詩人-22-〉 中野重治

 辛よ さようなら/金よ さようなら/君らは雨の降る品川駅から乗車する

 李よ さようなら/もう一人の李よ さようなら 君らは君らの父母の国にかえる

 君らの国の川はさむい冬に凍る/君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る

 (以下1連略)

 君らは雨にぬれて君らを追う日本天皇を思い出す/君らは雨にぬれて 髭眼鏡 猫背の彼を思い出す

 (以下6連略)

 行ってあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ/ながく堰かれていた水をしてほとばしらしめよ/日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾/さようなら/報復の歓喜に泣きわらう日まで

 右の詩は、日本文学に多少とも興味を抱いた朝鮮人ならば、誰でも一度は読んだであろうと思われる、中野重治の名詩「雨の降る品川駅」(全12連31行)の部分である。

 「さようなら」という詩句が8回くり返されていることで離別の哀切を表出している。

 しかしそれは、5連の「…君らを追う日本天皇を思い出す」という、朝鮮人の敵愾心のこもった詩行と、最終連の「…氷をたたきわれ」「…水をしてほとばしらしめよ」「報復の歓喜に泣きわらう日まで」という詩行によって、単なる哀切ではないことがわかる。

 日本のプロレタリア詩人と朝鮮の革命家たちとの固い同志的絆と、天皇に集約された弾圧する輩に対する復讐の誓いが、日本現代詩の絶唱の一篇であるこの詩のモチーフである。

 重治にはこのほかにも「朝鮮の娘たち」という全1連30行の抵抗詩がある。かれほど朝鮮について多く書いた文学者はほかにいない。

 そのモチーフは朝鮮の友人を多数もち、プロレタリア文学者として日本帝国主義が犯した朝鮮への罪悪を許すことができず、階級的立場からそれへの贖罪意識がきわめて濃厚であったところにあるのではないかと思われる。岩波文庫「中野重治詩集」がある。
(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2006.12.7]