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〈人物で見る朝鮮科学史−21〉 新羅の科学文化(3)

 1995年に慶州吐含山の石窟庵とともに、ユネスコの世界遺産に登録されたのがその麓にある仏国寺である。仏国寺もまた新羅石造建築の粋を集めたものといえるが、とくに大雄殿につながる白雲橋と星雲橋、前庭にある釈迦塔、多宝塔はよく知られている。度重なる戦火によって仏国寺は何度も焼失したが、これら石造建物は当時のまま今日まで残されたのである。釈迦塔は高さ8.5メートルの直線的な構造で男性的に、多宝塔は高さ10メートルで精巧かつ豊麗で女性的に表現されており、それを左右に対比させることで芸術的効果を際立たせている。また、数学的にも白銀比と1、2、4、8の等比数列が適用されている。

ユネスコの世界遺産に登録された仏国寺・多宝塔

 さて、その美しさを誇る釈迦塔であるが、1966年10月のある「事件」によって大きな話題となったことがある。釈迦塔のなかには、普通、仏舎利とともに宝物が納められているが、盗賊がそれを狙って釈迦塔の中をあけようとした。幸い、屋蓋石は重くて未遂に終わったが、はたして未遂だったのかを確認するとともに、それを元通りに戻すために屋蓋石を持ち上げようとしたところ、その支柱が折れ屋蓋石が破損してしまったのである。本来ならば大変な社会問題となるところだが、ある大発見がそれを吹き飛ばした。

 釈迦塔のなかの舎利函から出てきたのは、長さ約7bの巻物状の「無垢浄光大侘羅尼経」であった。もともと、「無垢浄光大侘羅尼経」は寺院を建立した際に奉納されるものなので、それ自体が出てくるのは珍しくはないが、それは木版印刷による12枚の経文を張り合わせたものだったのである。それまで現存する最古の印刷物は770年に造られた日本の法隆寺に保管されている「百万陀羅尼経」とされていたが、仏国寺の建立が751年とするならば、その経典はそれ以前に印刷されたことになり最古の印刷物となる。

 さらに、通常、木版印刷は紙と墨を発明した中国で初めて行われたといわれているが、現存するもののなかでは敦煌の石窟寺から発見された「金剛経」(868年)が一番古い。であれば、「無垢浄光大侘羅尼経」によって、新羅で初めて木版印刷が行われた可能性さえ出てきたのである。

 人類文化史上、印刷が持つ意義はあらためて述べるまでもなく、その発祥地が自国と願うのは人情である。当然、中国の学者たちからは反論がでる。彼らは「無垢浄光大侘羅尼経」には唐の則天武后代にのみ用いられた漢字があることから、それは中国からもたらされたものと主張している。この論争に決着をつけるためには、なによりもまず「無垢浄光大侘羅尼経」の紙と墨が新羅で造られたものということを証明する必要がある。現時点では、日本の研究チームによって質の高い楮紙ということが判明したが、どこで造られたものかについての決定的証拠には至っていない。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授、科協中央研究部長)

[朝鮮新報 2006.12.9]