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開発優先、置き去りの女性たち 「やより賞」高維京

 10日、「やより賞」を受賞した高維京さんと「やよりジャーナリスト賞」を受賞した山本潤子さんの感想を以下に紹介する。

 何より、光栄なる「やより賞」をいただくことになり、とてもうれしい。

 正直に申し上げますと、自分にこの賞をいただく資格があるのかと、とても恥ずかしく思います。自分が松井さんの活動の遺志を継げるほど熱心に生きてきたのかとふり返させられます。

 松井さんの著書「女たちがつくるアジア」(朝鮮語版)を読む機会がありました。1995年の北京女性会議からはじまるこの本には、松井さんがアジアの女性たちに会い、彼女たちに抱いていた愛情や連帯の力を感じることができました。軍隊の暴力や戦争の苦痛について証言する女性たち、開発や家父長制に強要された貧困を克服しようと、自治と共同体を掘り起こしていく女性たち。この本には被害女性たちが自分の苦しみをどのように言語や行動で表現し、そして抵抗しているのか細かく記述されていて、読みながら彼女たちの勇気や知恵に深い感動を覚えました。日本という名の下で、アジアでなされた暴力を告発し、常に被害者の女性たちの立場で考えようと努力したこの文章には、見えない悲しみや苦痛が含まれています。今まで私は韓国という名の下で、アジアあるいはほかの地域の女性たちに振るわれている暴力に目を向けることができませんでした。米国という名の下で、韓国で、間断なく起きている犯罪や暴力に対してわずかな声をだすのがやっとでした。こんな私にこの本は勇気と謙遜を教えてくれました。

 米軍に安全な休憩と娯楽を提供するという名分で基地の村が作られ運営されてきましたが、ここで起きている女性たちへの人権の侵害は駐韓米軍の安定的な駐屯のため、引き受けなければならないものとして強制されています。

 ユン・クミさんの殺人事件、ホ・ジュヨンさんの放火殺人事件、イ・キスンさんの殺人事件など、基地の村の女性たちが殺されたあと、殺人者の米兵を処罰せよという社会の世論が広がると、一部では基地の村の女性の死のために韓米同盟が脅威にさらされてはならないとして、事件を縮小、隠蔽しようとします。そうした理由で日常的な暴力や強かん、詐欺などの犯罪は警察に届けても、まともに処理されず、かえって女性たちのせいだとされています。だから、女性たちは警察に届けて侮辱を受けるよりは我慢するのがましだとあきらめるのです。殺人事件の中でも、基地の村の女性殺人事件が解決されない理由は、このような現実を反映したものです。

 警察の消極的な態度、世論の無関心、米軍の非協調的な態度は、基地の村の暴力を放置する結果を生みましたが、村の女性の人権保護に努める市民団体の長い活動の結果、数十年間疎外され、沈黙させられてきた基地の村の現実が白日のもとにさらされるようになりました。

 女性たちに対する犯罪を処理する過程で、警察や韓国政府が消極的な態度をとるのは、社会の世論の反映でもあります。メディアは極悪な暴力でない場合、あまり報道せず、被害にあった女性が純潔か、またどれぐらい誠実に、あるいは、厳しく生きてきたかと、過去を問うのに力を入れています。女性に対する暴力の加害者の処罰をめぐる論争だけではなく、被害者の女性のアイデンティティについての論争、どのような女性だったかという論争も引き起こされます。

 過去、米軍基地は軍事同盟を象徴する印だったのですが、最近では経済開発の機会とみなされます。

 平澤に米軍基地を拡張、集中させながら、大楸里、棹頭里の住民たちの意思とは無関係に、住民たちの家と土を奪う事件が起こりました。韓国政府は米軍基地を平澤に拡張するかわりに、平澤市に多くの投資と開発を許可しており、平澤市長と市民の一部はこれをチャンスだとして米軍基地を受け入れ、より多くの特恵や投資を引きつけようとしています。

 梅香里にある米空軍の爆撃場が閉鎖される代わり、群山ジクドの射撃場で米軍の爆撃訓練ができるように施設を備えようとしていて、これに地域の市民と群山市が反対したら、結局韓国政府は3千億ウォンを支援することにして、これを群山市が受け入れながら、ジクドの射撃場を米軍が使えるように施設工事をすることに至ったのです。

 米軍が撤退すれば北朝鮮が攻撃してくるという主張より、外国の資本が韓国から離れるという主張がもっと説得力をもって広まっており、米軍基地を受け入れる代わり、地域により多くの利益をもたらすことができ、米軍により起こされる犯罪や被害はあらかじめ予防することができるという主張もなされています。

 このような主張は大体開発関係者によるもので、結局米軍基地により土を奪われる農民や暴力に敏感な女性たちの主張は、全く受け入れられていません。このような論争の中、米軍基地の再配置が行われており、基地の村の女性はさらに難しい状況に置かれています。

 社会から背を向けられながら、数十年を生きてきた基地の村の地域が、米軍基地特別法により開発が進み、物価などが高騰して現在の生計費では生きていけない町となりつつあります。米軍基地の供与あるいは返還が予想されている周辺地域を支援する特別法であるにもかかわらず、女性たちの支援は全然考慮されないまま、開発のための特別法を作ったわけです。

 米軍基地のため起こった被害が何であり、そのため、保護されるべき対象が誰かということは検討されていないのです。結局女性たちは米軍の駐屯している間にも、そして立ち退く過程においても被害者として置き去りにされています。

[朝鮮新報 2006.12.18]