東京でシンポ 「米軍基地と女性への暴力」 |
南朝鮮、沖縄、フィリピン 手つなぎ、アジアから米軍基地撤去させよう
南における米軍犯罪は、1945年9月8日、仁川に米軍が一歩を印した瞬間から始まり、現在までに件数は10万件を上回る。10日、東京都新宿区の早稲田奉仕園で開かれたシンポジウム「米軍基地と女性への暴力」では、アジア各国に駐留する米軍の恐るべき犯罪の実態−殺人、強盗、強かん、暴行、詐欺、窃盗、密輸、大麻、放火などから環境汚染に至るまで白日の下にさらされ、断罪された。 シンポではまず、「やより賞」を受賞した高維京・駐韓米軍犯罪根絶運動本部事務局長が発言した。
高さんは、米軍が犯した基地村女性に関する犯罪の大部分が残忍な殺人、暴力などの凶悪犯罪だと強調。同本部で確認している事件だけでも「92年以降の11件の殺人事件のうち7件の被害者が基地村女性であった」と述べた。 同氏は92年に起きたユン・グミ事件をとりあげ、「遺体にはコーラ瓶、ビール瓶、傘の柄などが差し込まれ、無残に破損され、証拠隠滅のため全身に粉洗剤が撒かれ、口にはマッチ棒が詰め込まれていた」と指摘。この事件を解決するために女性、市民、宗教団体が「駐韓米軍のユン・グミ殺害事件共同対策委員会」を構成して、1年8カ月にわたって活動を続けた結果、加害者のケネス・マイケルが懲役15年の刑を受け、天安少年教導所外国人棟に収監された」と述べた。この極悪事件によって、南の社会では「米軍犯罪」という造語が生まれ、「駐留米軍地位協定」(SOFA)の圧倒的な不平等性によって、南側の捜査権、裁判権、拘束権が、著しく制限されていることが認識されたと述べた。
続いて沖縄の実情について高里鈴代「基地、軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表(元那覇市議)が発言した。 高里さんは「97年からフィリピン、米国、韓国、プエルトルコの女性たちと共に『軍事主義を許さない国際ネットワーク』を築いてきた」と述べ、米軍の長期駐留下において、女性たちは暴力に日々さらされ、生存権や暮らしを脅かされるという体験を共有していると強調した。 また、沖縄は慢性的な米兵による女性への暴力を、個人的な問題、悲劇、恥として沈黙を強いる社会でもあったと述べ、「避けがたい軍隊の暴力は一部の女性たちを受け皿(性の防波堤)にすることで生き延びてきた」と断じた。
そして、95年の3米兵による小学生暴行事件は、その40年前の、6歳の少女由美子ちゃん事件を思い起こさせ、敗戦後から起こり続けている暴力を、これ以上認められないという強い思いを女性たちに起こさせた、と語った。 さらに「軍隊の本質は、殺傷と破壊であり、暴力を合法化した機関、組織であり、構造的暴力である。占領地への差別、女性差別、構造的暴力は軍隊駐留基地に共通している」と非難し、米軍優先の日米地位協定と女性の人権軽視について強く警鐘を鳴らした。 シンポでは、フィリピンの基地の実態について、ドナ・ベルトラン・在日外国人女性支援団体(KAFIN)共同代表が発言した。また、横須賀、岩国などで基地と女性、性被害を問題として取り組む反基地運動の代表らが発言し、「現在進む米軍再編では、さらに女性の性被害が固定化されるだろう」という危惧を表明し、「米軍基地そのものの撤去を求めて、沖縄・アジアの米軍基地に対する女性たちの闘いに連帯し、問題を共有していこう」と訴えた。
一方、会場からは22年前の高校生の時、下校途中にナイフを突きつけられ、3人の米兵から性暴力を受けた30代の富田由美さん(仮名)が、「米兵は今も我が物顔で、私たちの島を何の制限も受けずに歩いている。仕事として『人殺しの術』を学び、訓練している米兵たちが、である。沖縄から米軍を撤退させないかぎり、私たちの生活や命を守ることができない」と米軍基地の不条理を訴えて、大きな拍手を浴びた。 富田さんが自身の体験を証言するようになったのは、95年の小学生暴行事件がきっかけだった。「自分の事件の時に警察に被害届けを出していれば、みんなが危険を知って、気をつけることができたかもしれない。そうすれば事件は起きなかったかもしれない」と自身を責め続けたこともあったと言う。96年、大学で初めて自らの体験を話し、00年の「女性国際戦犯法廷」の国際公聴会でも証言に立ち、平和運動に携わるようになった。そして昨年、稲嶺知事あてに「一日も早く基地を撤去するために立ち上がってほしい」との手紙も出した。 富田さんは、軍事基地を背負う各国の人々の涙と苦難を終わらせ、軍事力に頼らない東アジアの平和を築いていくべきだ、と力強く語った。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2006.12.20] |