〈第84回全国高校サッカー選手権大会〉 勝利かみしめる大阪朝高 選手、スタッフらの声 |
国見戦後、大阪朝高選手とスタッフらは、ロッカールームに帰る途中、日本のマスコミのインタビュー攻めにあっていた。国見に勝ったことで、大阪朝高の注目度は一気に高まった。 得点した梁泰雄選手は「とにかく無我夢中で蹴りこんだ。応援にあと押しされたし、最後まで同胞と気持ちを一つにしてプレーできた」と喜びをかみ締めていた。 また、2回戦で足を怪我して出場を危ぶまれた金裕士選手は「3年最後の試合なので出させてほしい」と直訴し、国見戦に出場した。「勝てて本当にうれしい。国見は伝統があるし、憧れだったチーム。今日はそれを越えてみたいと思っていた。夢のような感じだ。ここまで来たら次の試合に勝って国立にいってみたい」と笑顔を見せた。 安泰成主将は「1点はみんなの気持ちがこもったゴールだった。国見は王者というイメージだったが恐れはなかった。逆にワクワク感があった。同じ高校生だし、チャレンジャーの気持ちをもってサッカーをしようと思った。このチームのメンバーと一日でも長くやりたい。そのためには国立に行くしかない」と意気込みを語った。 記者らに囲まれた康監督は笑顔を浮かべながら、「この勝利は意義深い。国立にうちの選手が立つことになれば歴史的なことになる。歴史を作っている実感ですか? 正直まだありません。大会が終われば出てくるんでしょうけど。今は目の前の試合に勝つだけ。ここまで来られたのは協力してくれた日本の方々、胸を貸してくれた日本の高校のおかげ。自信をつけさせてくれた」と語った。 康監督は選手権出場を決めたあと、あくまでも「初戦突破」にこだわった。 その理由として、一つは大阪勢が近年、初戦、2回戦で姿を消す時代が続いていたこと。もう一つは「各種学校」扱いの朝鮮高級学校に94年からインターハイ、96年から選手権大会への出場が認められたあと、出場したすべての朝高が1回戦で敗退していたからだ。 過去、99年インターハイ、00年選手権大会に大阪朝高が出場、01年インターハイに広島朝高、03年選手権大会に京都朝高が出場するも、1回戦の壁は破れずにいた。 康監督は、「初戦突破のあとは(3回戦で)予想される国見に勝って、ベスト4の国立の舞台に立つこと」を目標に掲げたが、残るはベスト4入りだけだ。 つねにチャレンジャー精神の大阪朝高。過信せず、強豪校に勝った自信を次につなげている。 [朝鮮新報 2006.1.5] |