就任1年目の快挙 康敏植監督、経験積んで「常勝軍団」めざす |
監督就任1年目にして選手権ベスト8を成し遂げた。「特別やったことはない。スタッフ、選手、同胞らみんなで勝ち得たものだ。これからが本当の勝負。ひとえに初、中、高と一貫した民族教育が育んだ成果だ」と康敏植監督(35)は強調する。 大阪朝高2年のサッカー部時代、国見が選手権で初優勝。そのサッカーを見てとても衝撃を受けた。それから小嶺忠敏監督(60)が率いる国見に憧れを抱き、サッカー、生徒を育てる姿勢を目標にした。 康監督が朝高サッカー部の頃、まだ全国大会への門戸は開かれていなかった。「遠征もなかったし、関西の高校との試合しかなかった」。冬の選手権大会は、テレビで見るだけの「夢舞台」でしかなかった時代だ。 本大会には参加できない、それなら「いつか、サッカー部指導員になって全国大会の舞台に立ちたい」と夢のような思いを抱き始めた。その思いは、朝鮮大学校サッカー部に所属した頃もいっそう強くなった。 朝大卒業後は、奈良初中で4年間教鞭をとった。そして94年に朝高のインターハイ、96年には選手権への門戸が開いた。「夢」が現実のものへと近づいてくる感じがした。 英語を学ぶため米国に半年間遊学。その後、北大阪初中で1年間講師を務め、00年に大阪朝高で教員、サッカー部コーチとなった。 同年、選手権大会初出場を果たす。「あこがれの大舞台を肌で感じた。とても大きな経験だった」。 それから「全国に行ける実力はある」と言われ続けたが、結果を出せずにいた。そして去年、監督としてチームを率いて5年ぶりに選手権出場を果たした。 「結果を残す」と挑んだ2度目の選手権。3回戦で国見を破り波乱を巻き起こした。今大会、優勝した野洲高校にPKで敗れたものの、ベスト8は「大きな自信になった」と語る。 「自分たちのサッカーを」 すべての試合で魅せた強いフィジカルと前線からの素早いプレスは、大会関係者から高い評価を得ていた。年間150試合、強豪校との実践でもそれらを徹底した。「今までやってきた大阪朝高のサッカーがこれ。これは新チームになっても変わらない」。 そして、一番の収穫は「自分たちのサッカーが全国でも通用すると証明した」「ウリハッキョの生徒らに努力すれば手に届く『夢』を与えられたこと」だと語る。 今回の結果に満足していない。「もっと経験があればいい采配ができたと思う。チームのメンタル、技術、局面の判断力などの質をさらに高め、『常勝軍団』を作りたい」。そう言って最後に「サッカーがほんまに好きなんですよ。毎日サッカーのことばっかり考えてるいうぐらいに」とホっとした表情を見せた。 先に見すえる目標はもちろん「国立」。余韻に浸る間もなく、22日の新人戦に向けて1、2年生ら新チームを率いて始動した。(c) [朝鮮新報 2006.1.12] |