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GKコーチ 中島 亮さん、「宿題ができた」

 中島亮さん(30)は、「正月にサッカーができる」喜びをかみしめていた。日本でいう「正月のサッカー」とは、日本サッカーの頂点を決める天皇杯決勝、そして全国高校サッカー選手権大会がそれである。厳しい戦いを勝ち抜いた「選ばれし者」のみがプレーすることを許されるのである。

 静岡学園在学中に選手権出場を果たした中島さんにとって、大阪朝高コーチとして臨んだ5年前、そして今年と3度目の挑戦となった。目標は、自身の選手権出場時のベスト8越えだと「歴史的1勝」の試合後、話した。

 中島さんが大阪朝高サッカー部コーチとなったのは、同校が初めて選手権出場を決めた府予選だった。その時は、予選期間中だけのスポットコーチとしてだったが、優勝を機に正式にオファーをもらい現在に至る。

 その2年前、康敏植監督と偶然にも指導者ライセンスの講習で顔を合わせていた。大阪朝高の関係者だということを知らず、スポットコーチの要請を受けたあとに、試合会場で当時コーチだった康監督に出会い「なんでいんの?」と驚いた。康監督とは以来7年の付き合いである。

 康監督を「兄貴」と慕いながら、今年1年あえて「嫌われ役」に徹して指導にあたった。攻撃的サッカーを目指す監督の理想を実現するため、キーパーも含めた組織的なディフェンス、一人ひとりの力ではなくチームとしてどう失点を食い止めるのかを課題に取り組んできた。

 初めて選手権出場を果たした5年前のチームとの違いを中島さんはこう評す。「5年前は実力的に格上のチームを勢いで食っていったという感じだった。でも今のチームは、横綱サッカーで府予選を勝ち抜いた」。予選は点差こそ僅差の連続だったが、「勝つ」ことに関しては問題なかった。

 選手権本戦での怒涛の快進撃。3回戦で強豪・国見高校を撃破した直後、中島さんは興奮気味に「まだまだ通過点」と口にした。

 しかし「国立」への壁はそう簡単ではなかった。野洲との激闘、そしてPKでの敗戦。「宿題ができた。これで選手も欲が出たと思う。PK負けはオレのせい」。

 中島さんは話す。「これからは、大阪朝高を常勝軍団に作り上げたい」。5年に1度ではなく、毎年全国の舞台に顔を出すチーム作りを目指している。康敏植監督の右腕として。(鄭茂憲記者)

[朝鮮新報 2006.1.12]