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初心者から10年かけて達成 「日本百名山」を踏破して

すばらしい自然と人々にめぐまれて

聖岳(3013メートル)で「日本百名山」を踏破!(右端が筆者)

 2005年9月12日(晴れ)、南アルプスの聖岳で「百名山」登頂を終えた。年に何回かハイキングをしていたが、本格的に登山をしようと思い始めたのは1994年である。

 「百名山ブーム」になり始めた頃、登るなら旅行を兼ねて「百名山」を登ろうと言う話になったのが昨日のようである。

 最初に参考にした本は「やさしい山の歩き方」(永岡書店刊)であった。基本的な知識を得て登山用具を購入し、近郊の山(比良山系)から登りはじめた。いくつか山に登り初めてから山岳会に入る方が良いと思い始めたのが、96年頃であった。その後、労山の山岳会に入会した。

「これからもいろいろな山にチャレンジしてみたい」と筆者

 還暦までに「百名山踏破しよう」と計画を立て、初心者でも登れそうな地方の山から登りはじめた。天候、季節、日程調節をして計画を立てていったが、登ることができないこともいくたびかあった。計画の段階で名前の響きがよい聖岳を最後にと思っていた。計画の変更などがあったが最終的には予定通り実行できた。山岳会登山バス17座、大阪府岳連3座、ツアーで2座、そして個人山行78座である。各地の山々を登って得たことは、自然のすばらしさと同時に自然には勝てないということ、たくさんの人々との出会いと温かさであった。そして互いに欠点を補い助け合えたことであった。

 ホワイトアウトの御嶽山、大雨の雲取山、天城山、風雨が強かった羊蹄山、韓国岳、登山禁止が解禁された直後の岩手山、増水しだしたため小屋泊をせずあわてて渡渉し下山した幌尻岳、平ヶ岳下山後の車中泊、通行止めにあいそうになった飯豊山、台風接近で道路閉鎖にあった羅臼岳、積雪量が多かった奥白根山、甲武信岳、自己責任を追求する看板の多かった長い林道の皇海山、台風で小屋に足止めとなった鹿島槍ヶ岳、転倒した白馬岳、魚沼駒ヶ岳、宮乃浦岳、夫と2人だけの初テント泊の屋久島、テント泊縦走の薬師岳、黒部五郎岳、鷲羽岳、前後の登山者が熊に遭遇した羅臼岳、ロープ、鎖の使い方を反省した飯豊山、最高の天気に恵まれた多くの山々などそれぞれの山にいろいろな思い出が蘇ってくる。もう一度登ってみたい山を強いて挙げるなら花の白山、知床半島にそびえる羅臼岳、紅葉の立山、壮大な南アルプス連山である。

赤石岳山頂で

 悪沢岳、赤石岳、聖岳縦走山行も計画して2年目。台風、体調不良で断念を余儀なくされ昨年9月にやっと実行できた。9月10日は悪沢岳、11日は赤石岳を登り終え、12日は百間洞山の家→兎岳→聖岳→聖平小屋までの行程であった。

 一番心配したのは天候であったが、この日も快晴で聖岳を左に見ながら登りはじめた。中盛丸山、兎岳では北アルプス、中央アルプス、南アルプス、恵那山、遠く妙高山など四周の大観で眺望を楽しんだ。アップダウンを繰り返しながら聖岳山頂に11時22分到着。平日とあって誰もいないと思いきや頂上に1人いた。私たち(3人)と縦走の初日から同行者とあわせたった5人で頂上を占領した。

 百名山完登したというより一つの山行、南アルプスを登り終えたという感であった。雄大な山良し、天気良し、小屋良し、食事良し、高山植物良し、仲間良しで最高の山行であった。朝から夕方まで南アルプスの山を楽しみ、夜は満点の星の観察(多すぎて何が何かわからないほど)と俗世間を完全に遮断した世界に浸った。小屋ではスタッフや見ず知らずの山仲間の方々からも祝ってもらった。

 山岳会に入って六甲全山縦走、冬山教室(雪山)、テント泊の仕方、各種山行などで得た体験はすべて活かされ「百名山達成」の源になった。これからは無理せず、焦らず、のんびりといろんな山にチャレンジしていきたい。(朴智子、大阪、生野東支部中川分会)

[朝鮮新報 2006.1.20]