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安英学選手、名古屋同胞と深いきずな 「朝鮮の看板で堂々とプレーを」

 安英学選手は、アルビレックス新潟、名古屋グランパスエイト在籍中、同胞と日本人サポーターらに愛され続けた。中でもこの1年、愛知同胞の熱い歓迎のもと、深めてきたきずなは深い。「子ども好き」。朝鮮学校を訪れては生徒に元気を与えた。愛知・名中支部の同胞、名古屋朝鮮初級学校にしっかりとその足跡を残した。同胞たちは、「ヨーロッパへの夢を叶えるため、Kリーグで必ず成功してほしい」と口をそろえる。

「人情ホルモン」

南さん(前列中央)の店で開いたグランパスエイト選手の誕生日パーティー(後列右端が安選手)

 女性同盟愛知・名中支部。ここには同胞、日本人も知らない人はいないという名物委員長がいる。

 南栄淑さん(53、非専従)がそうだ。

 オモニから受け継いだ創業60年になる鉄板焼き屋を営みながら、支部活動に励んでいる。とにかく、南さんの周囲はいつも「笑い」が絶えず、みんなを元気にさせる。

 「名古屋での安英学選手のことを知りたいなら、南さんを訪ねれば」

 愛知同胞の誰に聞いてもこのような答えが返ってきた。安選手は店に週一のペースで通い、南さんを「オモニ」と慕った。南さんも自慢のホルモン鉄板を用意した。安選手はこれを「人情ホルモン」と呼んでいたという。

 「W杯アジア予選、朝鮮代表の試合をテレビで見て本当に勇気をもらった。拉致問題があって、同胞たちが暗くなっているときに、ああやって朝鮮の看板を背負って堂々とプレーする姿に感動した。名古屋に来ると聞いて、お礼の一言をいいたかった」

アルビレックス新潟から名古屋グランパスエイトに移籍し、05年Jリーグ開幕戦でスタメン出場を果たした安選手(中央)。釜山でも開幕出場なるか注目される

 安選手が名中支部の同胞たちと親しくなったきっかけは、同支部主催の金剛山歌劇団チャリティーコンサート(昨年5月8日)だった。フィナーレは実行委員会のメンバーらと肩を組んで合唱した。

 名古屋での憩いの場を見つけた安選手は、南さん家族らと共に過ごす時間が自然と増えていった。

 4月中旬に左足首を痛め復帰するまでの約3カ月、毎週店に顔を出していたという。

 「試合に出られないもどかしさがあったと思う。そんな英学を、家族みんなで支えていこうと話した」(南さん)

 南さんの息子の鄭栄哲さん(21)は現在、医大をめざす浪人生だ。安選手が店に訪れた時は必ずといってよいほど一緒に夕飯を食べて過ごした。「英学先輩の影響はとても大きかった」と語る。「人格者でしっかりしていて、人情をとても大事にする人だった」と振り返る。

 「自分もがんばらなければと強く思った。Kリーグでも必ず成功してほしい」

グランパスのオモニ

 南さんは「安選手のオモニ」だけでなく、「グランパスエイトのオモニ」でもある。

 グランパスの選手たちみんなが「オモニ」と親しみを込めて呼ぶ。そのきっかけは、安選手がチームに復帰後、試合先のホテルに毎回キムチを送ったことだった。「選手たちみんなに元気に試合をしてほしいと思ってやったこと」。

 また、昨年11月には店に選手たちを招いて、誕生日パーティーを開いたこともあった。誕生日を迎えた選手の名前が入ったケーキと豪勢な料理、そして宴がたけなわとなったところでみんなでオッケチュムを踊った。こんな交流が日常的に続いた。

 女性同盟名中支部文化部長の張福姫さん(41)は、その一端を示すとっておきのエピソードを語ってくれた。

 「秋のある日、新幹線のホームに立っていた南委員長の姿を見て、グランパスの選手が『オモニー!』って声をあげて駆け寄ってきたんです。ホームにいたほかのお客さんたちは何事かとびっくり。付き合いの深さは並ではない」

 委員長は、安選手のKリーグ移籍について、「最初は南でプレーすることが理解できなかった。英学は本当に考えがグローバル。サッカー選手として上をめざしたいという純粋な気持ちがそうさせたのだと思う。名古屋を離れていくのは淋しいけど、これからもしっかり応援していきたい」とほほ笑んだ。

 新天地での安選手の活躍を強く願う人がいる。南さんの夫で、名古屋市内で薬局を経営する鄭大基さん(55)だ。

 「異国で育った子どもが現地で温かく迎えられるのはとてもいい事だ。自分のフィールドでアプローチできることはどんどんやればいい。英学に『お前の足は8千万朝鮮民族の足だ!』なんていう知り合いもいた(笑)。みんなに愛される人柄、必ず成功する」

「すばらしい青年」

 安選手は名古屋朝鮮初級学校を昨年10月末から3度訪問した。全教室を回り、子どもたちと触れ合い、記念撮影をしたりして過ごした。初級部180人の生徒全員にサインもした。

 こうした過程で民族教育、同胞社会の役に立てないかと考えた。そして、1月に新たにバスを2台購入するとの話を聞いて、「役立ててください」と100万円を呉柄佑校長に手渡した。

 同校の禹重錫教務主任(30)は、「27歳でなかなかできることではない。ハッキョのために何かしたいという素直な気持ちがとてもうれしかった。本当にすばらしい青年だ。いつまでも在日同胞の安英学でいてほしいし、活躍を期待している」(金明c記者)

[朝鮮新報 2006.2.23]