本紙記者、ケ・スニ選手の新婚家庭訪問 夫は理想の男性 |
【平壌発=姜イルク、呉陽希記者】「胆力があって意志が強くて。夫は私が心の底から望んでいた理想の男性です」。2月27日に鯉明水体育団の柔道監督、キム・チョルさん(29)と結婚したばかりの女子柔道選手、ケ・スニ(27、牡丹峰体育団所属)は夫についてこう語った。「スニトンム」「指導員同志」−お互いをこう呼び合うという2人。幸せいっぱいの新婚家庭を訪ねた。 プロポーズは昨年4月
2人は平壌市牡丹峰区域北塞洞の高層アパートに新居を構えた。結婚式からまだ2週間あまり、まだまだ恋愛気分を満喫している。夫が妻の手をさりげなく握る仕草が初々しい。人前で照れる妻が夫の手をはずそうとするが、夫はもう一度握り返す。 同じ青少年体育学校に通い、共に柔道界に属していたことから顔見知りだった。しかし、結婚前には所属する体育団が異なるので会う機会は少なかった。柔道競技大会が行われる4月の「万景台賞」、7月の「ポチョンボ松明賞」、9月の朝鮮選手権などが、2人の距離を縮める場となった。 とはいえ、キム監督にとってアトランタ五輪で日本の田村亮子(現谷亮子)を破って彗星のごとくデビューを果たしたあと、着実に実績を重ね有名人となっていたケ・スニを「独占」できるわけはなかった。彼女に好意を寄せる男性も少なくなかった。 「僕らは純粋に選手としてつきあっていた。あらゆる困難を克服し、柔道に全てを捧げるスニトンムの精神世界に尊敬の念を抱いていた。異性としての感情とは違った」と、キム監督は当時を振り返る。 ケ・スニさんによると、「愛の告白」を受けたのは昨年4月、「万景台賞」大会が行われている時だった。9月にエジプトで開催される世界柔道選手権を目指して練習に励み、必ず優秀な成績を収めてくるようにと激励。いつもスニトンムを応援していると話したうえで、「勝って戻ってきたら結婚しよう」とプロポーズされた。 01年4月の出来事 ケ・スニさん自身は、いつから彼に思いを寄せるようになったかはわからないとはにかむ。だが、2001年4月にあった出来事がきっかけになったことは確かだ。 00年のアテネ五輪で彼女は銅メダルに甘んじた。金メダルしか眼中になかった彼女は激しく落ち込んだ。練習も手につかないほど、ショックは大きかった。 「そんな時、力と勇気を与えてくれたのが『万景台賞』の競技場で会った指導員同志だった。どんなにありがたかったか」 それ以降、彼女の心の中にはつねにキム監督の存在があった。精神的柱となってくれた先輩への思いがいつしか愛情に変わっていったようだ。 だからこそ、キム監督と必勝を約束した昨年の世界選手権で、ケ・スニは5試合中4試合を一本勝ちという驚異的な成績で優勝した。 「絶対に負けられないと思った。帰りの飛行機の中ではキム監督のことばかり考えていた」 しかし、平壌飛行場に彼の姿はなかった。沿道を埋めた10万人の群集の中にも見つけることはできなかった。 「プライベートな事で自分の任務である選手育成に支障をきたしてはならないと思ったようで、練習場で汗を流していたそうだ。直接迎えに来てくれなくても、そんな指導員同志の性格は私が一番よく知っている」と全幅の信頼を寄せているようだった。 北京五輪では必ず金を ケ・スニ夫婦の当面の目標は08年の北京オリンピックで金メダルを獲得すること。そのため、子どもも09年までお預けだ。 夫婦は女の子だろうが男の子だろうが、子どもは絶対に柔道家に育てるのだと口をそろえる。孫、ひ孫も柔道選手に育て柔道一家を作り上げる「遠大な計画」も持っている。 「柔道をこよなく愛する指導員同志だからこそ、柔道を続けたいという私の気持ちを誰よりも理解してくれている」とのろけるケ・スニ。 「2人の気持ちを合わせて北京五輪では金メダルを獲ります。いつも指導、支援を惜しまない在日本朝鮮人体育連合会の先生方や、温かい声援を送ってくださっている在日同胞のみなさんに固く約束します」 後輩選手も「柔道選手と結婚したい」 ケ・スニ結婚のニュースに接した後輩たちの間で、将来は柔道選手と結婚したいと希望する選手が増えているという。ケ選手が所属する牡丹峰体育団には現在、25人の女子柔道選手がいるが、一様に彼女の結婚を祝福しながら、うらやましさも隠さない。 柔道関係者らは、若い選手たちの間に「柔道夫婦」ブームが訪れていることに、「後輩の育成に展望が持てる」と歓迎している。 [朝鮮新報 2006.3.16] |