〈第13回朝・日親善サッカー大会「ピョンファ杯」〉 日本の高校との「輪」が結んだ固い絆 |
「これからも質の高い大会を」 今年で13回目の開催となった朝・日親善高校広島サッカー大会「ピョンファ杯」。東京の「イギョラ杯」と共に権威ある大会として定着してきた。大会初日の夜、広島市内のホテルでレセプションが行われ、広島朝高サッカー部後援会の呉相錫会長、広島体協の金永壽会長、広島県サッカー協会の小城得達会長など関係者、朝高、日本の高校の監督らが参加。大会が開催された当時を振り返り、熱く話し合う姿が目についた。「朝・日友好の促進と共にレベルの高い大会にしよう」と語る関係者らの熱い思いは第1回大会からずっと変わっていない。 朝の5時まで徹夜トーク
「サッカー部OBたちと焼肉店で熱く話し合ったのがこの大会の始まりだった」。広島朝鮮初中高の高隆志監督(40)がこう当時を振り返る。 「朝高が日本の公式戦に出られないことで親善を深めようと始まった。東京の『イギョラ杯』以上の大会を広島でも作ろうってね。それから広島皆実や岡山作陽の監督などに声をかけて計12チームを呼んだ。第1回大会が今でも一番印象に残っている」 初めて開催した初日夜の懇親会。明け方の5時までお酒を飲みながら、日本の高校の監督たちとこれからの朝高、日本サッカーなどについて熱く語り合った。高監督が22歳の時だ。
「日本の高校の協力はもちろん、選手権大会のかわりの大会を作ろうと、チームの宿泊費、弁当代などの財政確保をしてくれたOBたちのおかげでここまで来ることができた。その時のパワーが今日の13回にまでつながった」 17年もの間、監督としてサッカー部を指導。2001年にはインターハイ初出場へ導いた。今年、東京朝高サッカー部のコーチとして赴任することが決まっている。レセプションの場で発表があり、他校の監督たちは広島の現場を去ることを惜しみながらも、今後の活躍に激励の言葉を送っていた。 「人のつながり、輪って本当にすごいことを生むんだなって感じている。ここでの経験を生かしてしっかりがんばりたい」(高監督) 生まれた義理と人情 「ピョンファ杯」は、多くの日本の高校によって支えられてきた。第1回大会から参加している高校の監督に話を聞いた。そこからは、朝高サッカー部や関係者らと築いてきた固いきずなを垣間見ることができる。 作陽高校サッカー部の木村清部長(69)。36年、サッカー部と共に歩んできた人だ。
「当時は朝鮮高校とやったらケンカになるとかケガ人が出るとか、そんなこといって誰も相手にしなかった時代があった。この大会で世話になっていくと義理と人情が生まれる。そんな関係を築いてきた大会」 広島沼田高校の江濱津夫監督(53)もこの大会と深い関係を持つ。監督歴は15年にもなる。「やっぱり日朝親善の趣旨でやってきたことが一番。徐々に参加校も幅広くなっていき、いいチームとできるようになって、本当にいい大会になった」。 「春一番の大会でチームの力がどれだけあるかを試す重要な場」と語る多々良学園高校の白井三津雄監督(48)。 「日朝交流を兼ねて始まった大会が、インターハイや選手権に出場する中国地方のチームがそろうまでになったことはとても意義深い。広島朝高サッカー部とそのOB、日本の高校、韓国の高校まで集まって歴史ある大会に発展していった。サッカーに国境なんてない」 後援会の呉会長、金永壽会長は、沼田高校の江濱津夫監督の隣で、「みんなの力で守られてきた大会だ」と笑顔で口をそろえた。 「ここから全国大会を制覇するチームが出てくればこれほどうれしいことはない。15回、20回とこれからも質の高い大会にしていきたい」(呉会長)(金明c記者) [朝鮮新報 2006.3.30] |