Jリーグの舞台で活躍する民族学校出身選手 |
金鍾成選手(現、東京朝鮮高級学校サッカー部監督)が1995年にジュビロ磐田へ入団してから12年。「開拓者」の後を継ぎ、多くの民族学校出身の選手たちがJリーグの門を叩いた。現役の彼らの活躍を追ってみた。 川崎フロンターレ 鄭大世 〜朝鮮大学校から初めてJ1へ〜 現在、J1で首位の川崎フロンターレ。今シーズンそのベンチには180センチ、79キロの恵まれた体格を授かった選手が座っている。鄭大世選手だ。今季、朝鮮大学校から川崎へ入団した。ジュニーニョ、マルクスという両ブラジル人に我那覇というリーグ随一の攻撃陣の層の厚さから、出場機会にこそなかなか恵まれないが、5月3日の対福岡戦では後半30分から途中出場、存在感をアピール。 鄭選手の魅力はなんといっても豪快なプレーとシュート力。大学時代の朝・日親善試合ではJFLの佐川急便東京からハットトリックを達成するなど、学生ばなれしたプレーを見せていた。 鄭選手はルーキーとしてこれまでリーグ戦12試合中8試合でベンチ入り、そのうち交代出場が4試合。 ベガルタ仙台 梁勇基 〜エースナンバーを背負う天才パサー〜 昨年10月にマカオで開催された「東アジア大会」。大会に参加した朝鮮代表にアクセントを加えたのが代表初召集の梁選手。独特のパスセンスは朝鮮でも賞賛され、2試合に出場して4得点を挙げた。 そしてベガルタ仙台入団3年目の今季からは、背番号「10」を背負う。昨季は惜しくも勝点1の差でJ1昇格を逃したが、クラブがJ1昇格を狙ううえで、活躍は欠かせない。 大阪朝高が民族学校で初めて全国大会(インターハイ)に出場した時のメンバーであり、高校卒業後は阪南大学へ進学、3、4年時にはリーグMVPを授賞。まだ年齢的にも若く、26〜27歳という選手として一番充実した時期に次回のW杯予選を迎えることもあり、朝鮮代表チームの背番号「10」をつけての活躍が期待されている。 横浜FC 鄭容臺 〜好調なチームを支えるファイター〜 カズ、城の元日本代表2トップで何かと話題の横浜FC。チームも快調で、J1昇格圏内(2位)をキープしている。チームを支えているのは何と言っても14試合で3失点しか許していないDF陣。 そのDFラインの真ん中で常に存在感を発揮しているのが鄭選手。リーグ戦14試合中12試合に出場(1試合は出場停止)、そのうち11試合がフル出場である。 そのサッカー人生は苦労の連続であった。朝鮮大学校を卒業後、関東リーグの青梅FCを経てKリーグの浦項へ移籍、ここでプロとしての第一歩を踏み出す。日本に戻ってからは、名古屋グランパスエイトからセレッソ大阪、また名古屋グランパスエイトへ戻り川崎フロンターレとJクラブを渡り歩いた。 今季から加入した横浜FCではようやくレギュラーポジションを確保し、サッカー専門誌「サッカーダイジェスト(5月9.16合併号)」は、「ディフェンス面でリーダーシップを発揮、守備力向上に大きく貢献している」と絶賛している。 △民族学校出身のJリーグ、JFL所属選手
[朝鮮新報 2006.5.18] |