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〈Jへの挑戦〜在日サッカー選手の心〜@〉 J1サンフレッチェ広島 MF 李漢宰選手

 Jリーグ発足以降、朝鮮学校卒業生らは、さまざまな方向からプロ入りを果たしてきた。2000年以降、北南サッカー界の躍進に胸躍らせながらも、厳しい国際情勢の中、在日同胞サッカー選手にとって「国家代表」への道は想像すらできずにいた。国籍の問題、「在日枠」の問題…近道もあり遠回りもあったが、プロを目指してさまざまな道を経てJリーグ入りした在日同胞選手たち。大好きなサッカーをまっとうするため必死に戦う在日Jリーガーの熱き思いをレポートしていく。

「あきらめない、朝鮮代表としてW杯出場」

つねに100%の力を発揮したいと語る李漢宰選手

 「将来、朝鮮代表になってW杯に出場するんだ」−少年の頃に抱いた夢を一つ叶えた選手がいる。

 2001年、広島朝鮮初中高級学校からJ1のサンフレッチェ広島に初めてストレート入りし、日本中の注目を集めたMF李漢宰選手(25)。当時のあどけなさはもうなく、今ではいちプロサッカー選手として堂々としたプレーを見せている。

 昨年、W杯アジア最終予選での朝鮮代表としての活躍ぶりは記憶に新しい。

 「朝鮮代表には幼い頃から強く憧れていた。在日朝鮮蹴球団に代表選手がいたし、66年のイングランドW杯で8強に入った試合も何度も見た。だから蹴球団に入って代表になってやるってずっと思っていた」

 在日同胞たちは、在日Jリーガーの朝鮮代表誕生に心躍らせ、その期待に応えるべく李選手は気迫あふれるプレーで安英学選手(釜山アイパーク)とともに観客を大いに魅了した。朝鮮代表としての誇りを胸に、最後まで戦いぬく姿で在日サッカー少年たちに夢と希望と与えた。その影響は計りしれない。名実ともに申し分ないが、自身にとって「すべてはまだ通過点にすぎない」と語る。

W杯予選の朝鮮×日本戦に出場(05年2月9日)

 「チームではつねにレギュラーが保障されているわけじゃないし、いつも危機感はある。でもどんな状況でもやり続けられる自信がある。代表としても100%の力を発揮できたとは思っていない。サッカー選手である以上、目標はW杯出場だから」

 W杯予選を戦ったことが自信になったのか、つねに上を目指す貪欲さが言葉からにじみ出ていた。

 当時、朝鮮代表のポジションをつかむために必死にくらいついた。「どこの誰だ」とチームメイトの目は冷徹だった。

 しかし、監督、チーム、そして平壌市民をも認めさせたのが、W杯アジア予選のイエメン戦でのゴールだった。鮮やかなヘディングシュートがゴールに突き刺さった。A代表初試合、初ゴールだった。「自分もやっていけるんだ。『見たか!』って感じで。みんなに祝福された時は本当にうれしかった」。

チーム一と言われる豊富な運動量に自信をみせる李漢宰選手。右サイドからの正確なクロスとミドルレンジからの強烈なシュートを得意とする

 どの在日Jリーガーよりも早い時期にプロにもまれてプレーしてきた自信とプライドは人一倍強いものがある。それは多くの試合に出場した経験から培われたものだ。入団した01年から昨シーズンまでの5年間、リーグ戦出場は通算68試合で得点3(03年はJ2リーグ)。昨シーズンは好調ぶりを発揮し、1得点、5アシストを記録している。

 ここにたどりつくまで苦労も多かった。入団した1シーズン目は1試合も出場できなかった。朝高を卒業したての19歳にプロの世界はどのように映っていたのだろうか。「フィジカルがまったく違った。運動量も、ディフェンス面…すべてにおいて未熟さを知った」。若さからか「自分はできる」とあふれだす自信。1年目にそれは完璧にへし折られた。腐らず焦らず、出場機会を待ち練習に励んだ。

 デビュー戦は2年目の5月、対名古屋グランパスとのナビスコ杯。本来のMFポジションではなく、右サイドバックでの出場。がむしゃらだった。途中出場で途中交代の18分間。ほろ苦いデビューだった。

 「あんな大勢の観客が見ている中でやったのは初めてで地に足がついていなかった。このままじゃ終わりたくなかった…」。この後、チームでの出番はほとんどなかった。が、同年の釜山アジア大会でU−23朝鮮代表に選出された。初めての代表戦。国際試合の経験を通じた成長が、広島でのポジション確保につながった。「一つひとつにかけるハングリーさ。これは想像をはるかに超えていた」。

 自慢の運動量はもちろんのこと、プレーに幅が広がり何よりも経験が大きな自信になった。何がきても物怖じしなくなった。「一回り大きくなった」と評価され、J2の03年シーズンには22試合に出場。チームに大きく貢献し、J1昇格の原動力となった。今ではコンスタントに試合に出場し、主力メンバーへと成長を遂げている。

 「現状に満足せずに『在日Jリーガー』である以上、ほかの選手にないものをピッチに出していきたい。それは誰にも負けない強い気持ち、どんな難しい状況でも乗り越えられる強い精神力。これから育つ在日選手の手本として先頭に立っていきたい」

 Jリーグ6年目。確かな手応えをつかみつつ、今もピッチでたくましい勇姿を見せている。(金明c記者)

[朝鮮新報 2006.6.29]