〈独W杯観戦記−上−〉 「KJ」共同応援で友好を |
始まりは98年
サッカー・ワールドカップ(W杯)ドイツ大会の日韓共同応援ツアー(20人)に参加し、6月20日から25日までドイツに滞在した。22日の日本×ブラジル戦(ドルトムント)と23日の韓国×スイス戦(ハノーバー)を見た。 私が参加した日韓サポーター共同応援ツアーは8年前に始まった。1998年のフランス大会を前に、「2002年W杯日韓共同開催」が決まり、仏大会が日韓両国の初めての同時出場だったこともあって、在日朝鮮人が日本人に「在日のわれわれと日本人で仏大会の韓国、日本の両国代表を共に応援しませんか」と呼び掛け、親ぼく組織「日韓ふれあい応援団」が設立された。私は新聞でこの動きを知って、事務局へ電話してメンバーになり、フランスで日本×ジャマイカ戦、韓国×ベルギー戦を応援した。 ジャパンのJとコリアのKががっちり握手する構図のデザインで、中央には「友情」の文字が入った応援旗、シャツなどをつくった。「日の丸」と「太極旗」のマークの入ったマフラーも振りながら応援した。私には「日の丸」は抵抗があるが、共同応援では、両方の国旗を振っての応援だ。 メンバーは韓国籍の在日の人が多いが、朝鮮籍の人たちも参加し、約200人でフランスへ飛んだ。両国のほか、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)も応援するという意味を込めてブルーの南北統一旗も振った。 仏大会のあと、「ふれあいKJクラブ」と名前を変えて、約300人で共同応援した。私は日韓大会では韓国×ポーランド、日本×ロシア戦を応援した。多くのメンバーが日韓大会の会場でボランティア活動もして、市民レベルの日韓交流に貢献してきた。 今回のW杯では、日本は最強のブラジルとの対戦で、2点差以上の勝利が決勝トーナメント進出に必要だった。 ルール工業地帯の中心都市ドルトムントで午後9時から試合が行われた。日本は初先発の玉田が先取点をとって、「ひょっとしたら…」と希望を持たせたが、ブラジルの猛攻を受けて大敗した。最初から負けるのはまちがいないのに、「ニッポン、ニッポン」と叫ぶだけで、終わったら「勝てるはずがなかった」とふり返る。 歴史乗り越え 23日は夕方韓国の試合があった古都ハノーバーに入った。ドルトムントから移動のバス車内では、「テーハンミングー(大韓民国)」コールの練習も行った。町の繁華街では、韓国人がスイス人に負けずに気勢を上げていた。競技場では、民族衣装に身を固めた韓国のKJクラブのメンバーとも交流した。 韓国サポーターもスイスも赤色の応援ユニフォームを着ているので、スタンド内は真っ赤になった。 日本人が韓国を熱心に応援しているのを見たスイス人は「どうしてか」と聞いてきたが、「過去の歴史を乗り越えて、サッカーを通じて市民交流をしている」と説明すると、「すばらしいことだ」と言ってくれた。 韓国はトーゴ戦に勝ち、フランスと引き分けており、スイスに勝てば決勝トーナメント進出を決めることができた。引き分けでも勝ち上がる可能性もあった。韓国はアジア地区の最後の希望だった。韓国はよく走り、攻めたがゴールを奪えず、負けてしまった。共同応援ツアーに初めて参加した日本人のある大学生は「韓国の選手はガッツがある。応援団も元気だ。日本はもう一つ盛り上がらない」と話していた。 グループリーグがこの日に終了したが、アジア勢は4チームすべてが敗退。白星は韓国の1勝だけと惨敗した。2010年南アフリカW杯のアジア出場枠が減らされる可能性が出てきた。KJの姜昌善さんは「東アジアの国々がお互いのレベルを上げて、欧州、中南米に対抗しなければならない」と述べた。 韓国の選手は整列してサポーターにあいさつしてすぐに退場した。日本選手は惨敗なのに、手を叩いて観衆に何度もあいさつしていた。力尽きた中田英だけがセンターサークルで倒れている。 なぜ負けたのかという総括がないまま、次期監督に話が移った。 無観客ではない 昨年6月8日に平壌で開催されるはずだったW杯アジア地区最終予選の日本×朝鮮第2戦は、国際サッカー連盟(FIFA)の裁定で「第三国、無観客試合」になり、バンコクでの開催になった。朝鮮サッカー協会が、日本のサポーター3000人を受け入れる用意があると表明し、全日空などがチャーター便を平壌へ飛ばすことが決まった直後の決定だった。 朝鮮は第三国なら中国を希望し、韓国サッカー協会はソウルで受け入れると表明していた。 日本にとっては、アウェーの試合が一転してホームとほぼ同じになった。結果は日本が勝って、ドイツ行きが決まった。 朝鮮は対日本第2戦で引き分け以上なら、プレーオフに進出でき、日本、韓国、朝鮮の3代表がドイツへ行くこともできたのだ。 当時本紙に詳しく書いたが、この試合は無観客ではなかった。競技場内にいた日本人約1000人が大歓声をあげて応援していたのに、マスメディアはその事実を全く伝えなかった。NHKとテレビ朝日は日本人で埋まったメインスタンドを全く映さず、会場内のマイクが拾った「観客の声援」を、会場の外で応援するサポーターの応援だとうそをついた。 川渕キャプテンは昨年8月17日に横浜国際総合競技場で開催された日本×イラン戦が終了した際、「無観客でスタンドに入れないことがわかっていたのに、多くのサポーターがタイまで出かけて、競技場の外で声をからして応援してくれた。こうしたみなさんの熱心な声援のおかげで本大会に行けることになった」とあいさつした。 川渕氏はバンコクのスタンドにいたのだから、日本人が場内に1000人近くいて応援したことを知っているはずだ。 今回の惨敗で、川渕氏の責任問題がメディアで論じられることはない。メディアもタイの「有観客」を伝えなかった共犯者だからだ。日本は正々堂々と予選を勝ち抜くべきであった。日本サッカー協会のスポンサーになっている朝日新聞は協会批判を抑制しているように思う。(浅野健一、同志社大学社会学部教授) (編集部注、韓国の表現は筆者の原稿を尊重しました) [朝鮮新報 2006.7.10] |