〈Jへの挑戦〜在日サッカー選手の心〜C〉 J2水戸ホーリーホック MF 金基洙選手 |
「チームへの貢献、J1昇格」 強い気持ちピッチへ 2004年2月、朝鮮大学校からストレートで初めてJリーグ入りした選手がいる。金基洙選手(24)。「Jに入れた時はとにかくうれしかった」と当時の心境を語る。 基礎技術と正確なパス、安定したプレーが定評のオールマイティープレーヤー。
朝大サッカー部時代、チームの紅白戦などの練習に何度か参加し、監督と強化部長に声をかけられ入団が決まった。昨年、J2の水戸ホリーホックに入団し3試合に出場。チームは現在、第28節が終了し、9位に位置する。入団2年目となる今年、序盤は試合出場がなかったが第14節から出場している。 「ピッチに立った時はとてもうれしかった。プロのピッチに立つと局面の判断のスピード、当たりがやっぱり激しいし、サッカーに対する根本的な考え方も違う。でもやっていく自信はある」 今は本職である中盤ではなく、サイドバックでの出場だが、「レギュラーポジションを確保することに力を入れている。とにかく出場できるならどのポジションでもこなしたい。少しでもチームに貢献することに必死です」。 朝大時代、ばく然としか思い描けなかったプロへの道を自らの手でつかみとった。
「朝大サッカー部からプロを輩出しよう」と同部の強化が本格的に始まったのは1998年。グラウンド整備、ナイター施設の設置などにより環境が整えられた頃、金選手はサッカー部に所属していた。「朝大2年の時からJリーグへの道を意識し始めた」。この時期、サッカー部が1カ月間、ブラジルへサッカー留学したこと、3年時に「サッカー部特設班」ができたことで、「サッカーに専念する」ことを心に強く誓った。 大学時代は「誰よりも練習した」と自負する。毎朝6時にランニング、7時過ぎにはボールを蹴り、授業が終わると午後2時から7時前までみっちり練習した。「とにかくうまくなりたかった」。当たり負けしないようにとウェイトトレーニングにも励んだ。 サッカーを始めたのはアボジの影響だ。東京朝鮮第7初中級学校(現在休校)に通い、初1からクラブチームに所属して練習を始めた。初4からは学校のサッカー部にも所属。 中、高でもサッカーを続けた。東京朝高卒業後、「サッカーをやめようと思った。だからプロへの道は頭になかった」。しかし、サッカーのない生活は考えられず、朝大に進んで続けることを決意した。今では茨城朝高サッカー部の生徒らと練習したり、地域同胞らの応援も受けながら活躍する姿を見せたいと意気込む。 国籍は朝鮮。プロへの道の妨げになるとは一度も思ったことがなかった。ドイツW杯アジア最終予選に出場した安英学(釜山アイパーク)、李漢宰選手(サンフレッチェ広島)の姿を見て触発され、むしろ「夢は朝鮮代表としてW杯のピッチに立つこと」と強い思いを抱いた。 「目標にしていたJリーガーになれた。次はJ1昇格のためチームに貢献したいし、シーズンを通して試合に出場できるようにがんばりたい。代表への道はおのずとそこから見えてくるはず」 レギュラー獲得とチームへの貢献、そしてJ1昇格がいま目の前にある大きな目標だ。(金明c記者) [朝鮮新報 2006.7.21] |