〈Jへの挑戦〜在日サッカー選手の心〜D〉 J1川崎フロンターレ FW 鄭大世選手 |
在日同胞に「誇り」与えられる選手に
朝鮮大学校サッカー部からJ1の川崎フロンターレにストレートで入った鄭大世選手(22)。身長180センチ、体重79キロと恵まれた体格を持つ大型FW。同大サッカー部からストレートでJリーグへ入ったのは2人目だが、J1へは史上初だ。 今季、チームは第15節(26日)を終えた時点で1位、チームの総得点はリーグトップの39点をたたき出している。この得点力を見るかぎり、チーム内でのレギュラー争いはとてつもなく難しいことがわかる。そんな中、鄭選手は今シーズンのリーグ戦に、新人ながら後半途中で7試合に出場している。「まずは試合で得点して、レギュラーポジションを自分のものにすることが目標」。 J1デビューは早い時期に訪れた。今季、J1第3節の対ヴァンフォーレ甲府戦。川崎は後半30分過ぎまで0−1のスコアでどうしても1点がほしかった。後半40分、投入されたのが鄭選手だった。 「幼い頃から憧れた夢の舞台。いざピッチに立つと地に足がついていない感じで…とても緊張した」と当時の心境を語る。放ったシュートはたったの1本。「決定機だったのに外した…」と悔しさをかみ締めるも、「少しでも期待されているんだと感じた日だった」とほほ笑む。
そしてJリーグ初ゴールは、第13節(19日)の鹿島アントラーズ戦だった。後半17分から途中出場した鄭選手は、つねにゴールのチャンスをうかがっていた。後半31分、右サイドでボールを受けたジュニーニョが大きくサイドチェンジ。このボールをマルコンがヘッドで前線の鄭へ。後ろ向きでボールを受け、振り向きざまに素早く右足を振りぬいた。強烈なシュートがゴールネットを揺らした。自身の持ち味を最大限に生かしたゴールだった。「この1点は100ゴール達成くらいの価値があるもの。大きな一歩だ」。試合は4−2で川崎が勝利。川崎の強力FW陣の中にまた一つ大きな戦力が加わった。デビュー1年目にして、しっかりと結果を残すところに「大物」を予感させる。 東春初中、豊橋初中でサッカーを続けた。「プロになりたい」−少年の目にはJリーグの舞台がとてもまぶしく映った。愛知朝高を卒業する時、朝大でサッカーを続けることを心に決めた。 「正直、初、中、高とサッカーで苦労したっていうことがなかった。だから自分をもっと厳しい環境におきたかったのがその理由です」。愛知朝高時代、朝大サッカー部からストレートでJに行った選手はまだいなかった。だから「自分が第1号に」。当時、朝大は東京都リーグ3部。注目が集まるわけもなく、そんな環境で「はたしてプロになれるのだろうか…」とまだ見ぬ不安と戦う日々が続いた。 チームでFWとして貢献、都リーグ1部に昇格させる結果も出した。一方で、コンサドーレ札幌や湘南ベルマーレなどJのサテライトと試合をすると実力の差を見せつけられ「何もできない自分」がいた。「これでプロになれるのか」。募る焦り…。しかし固い意志を貫き練習に明け暮れた。そんな時、転機が訪れる。 毎年、西が丘サッカー場で行われる日朝親善サッカー大会。昨年、第35回大会で佐川急便東京SCとの試合でハットトリックを決めた。その姿が日本一と呼ばれるエージェントの目に留まった。マリノス、ジュビロ、フロンターレ、ベルマーレ、大宮などで練習、紅白戦に参加した。最終的に決まったのが川崎フロンターレだった。 「大学時代はスピードで勝負していたが、今は体格をいかしたポストプレーと強いドリブル、そして強くて正確なシュートで勝負したい。Jでやっていく自信はある」 そしていつか安英学、李漢宰選手のように「朝鮮代表になってW杯に出場したい」と心に期している。 「民族心の強い親の熱い思いと同胞社会のきずなの中で育った自分が強く思うのは、国籍は『韓国』だが自分の祖国は『朝鮮』だということ。朝鮮の国旗を胸につけていつか試合に出て活躍したい。在日同胞たちに誇りと自負心を与えられる存在でいたい」−その熱い思いは今もピッチの上を駆けめぐっている。(金明c記者) [朝鮮新報 2006.7.27] |