〈Jへの挑戦〜在日サッカー選手の心〜E〉 J1ジェフユナイテッド千葉 FW 金東秀選手 |
朝鮮学校に通いながらJクラブユースに所属し、そのままJリーグ入りした選手がいる。まだあどけなさが残る弱冠19歳、東京朝高卒でジェフユナイテッド千葉所属のFW金東秀選手がそうだ。 04年からトップチームと契約を交わし、プロの道を歩みだした。今年で3年目になるが、まだ出場機会には恵まれていない。 「今は毎日が不安だらけ。レギュラーになって試合に出ないことには安心できない。まずは試合に出場した時に1点を入れて結果を残すこと。それをいつもイメージしている」 90年W杯でユーゴスラビアを8強に導き、ジェフ千葉を強豪チームに育て上げたイビチャ・オシム前監督(現日本代表監督)は「名将」との呼び声が高い。同監督の下で学んだサッカーは、「とても勉強になった」。だから腐ることはない、と前向きな姿勢で毎日を過ごす。 「絶対にプロになる」と心に誓ったのは初級部の頃。東京朝鮮第5初中級学校でサッカーを続けた。同時に都内フットボールクラブにも所属。「当時の東京第5監督にサッカーを教えられ楽しさを覚えていった」。サッカーだけじゃなく、私生活や授業など規律を重んじた先生の指導に、何にでも真っすぐであれという姿勢を学んだ。 ウリハッキョに通うサッカー少年たちのほとんどが、サッカーを続けたければ朝高サッカー部に所属する。しかし、金選手は朝高時代からユース一本にしぼって学生生活を送った。
中級部を卒業する前、帝京にも呼ばれて練習にも参加し、帝京側は「OK」の返答。一方で自身が通ったフットボールクラブの関係者からジェフユースへの話を持ちかけられた。迷ったが、みんなと学べる朝高進学を決めた。しかしサッカー部には所属しなかった。仲間とサッカーを続けたかったが、「プロになるため」とJユースへの道を選んだ。 「ずっと一緒の環境だけではだめだと思った。自分の幅を広げて変わりたいと思った」 朝高時代はサッカー中心の生活。学校生活はままならなかった。1年生の時からトップチームと練習し、2年生からは千葉・姉ヶ崎にある寮に入ってサッカー漬けとなった。そこから朝高に通った。授業を1、2時限だけ受けてすぐに練習に向う時も多かった。寮生活では先輩との話しが合わず、朝高の友人に会いたくなった。そんな時、支えてくれたのが当時の担任の先生だという。「やるなら最後までやれ、中途半端にはするなって言ってくれた」。 16歳の青年がいきなりトッププロと練習することに大きなギャップはなかったのだろうか。「プロ選手の高い意識についていけない自分がいた。サッカーを職業としている選手に手厳しい言葉ももらった。でもこの環境が今の自分の糧になっていることは確か」とふり返る。プロの世界を「スピード、判断、考え方すべてが違ったし、必死になってがんばらないと落とされる厳しい世界」だと語る。 ユース時代、セネガル代表や日本代表との親善試合に出場したことがある。セネガル戦は2−1で勝利。右からのセンタリングに頭で合わせて決めた。「ここでやっていけると感じた瞬間」でもあった。 「両サイドからのクロスボールに対して点で合わせるのが得意」と金選手。今後はポストプレー、ゴール前での豊富なアイデアを駆使したプレーをしたいと語る。 プロサッカー選手だけに、国家代表への強い憧れもある。しかし、試合に出場していない金選手にとってはまだまだ先の話だ。 「今はとにかく試合に出て活躍することだけを考えている」 19歳の若き在日Jリーガーの第1歩は、Jリーグデビューと初ゴールにかかっている。(金明c記者) [朝鮮新報 2006.8.3] |