大会を飾った数々のドラマ |
▽中大阪
中大阪の生徒がわんわん泣いていた。決勝で生野に負けたあとだった。「(生野は)強かった。決勝で負けたけど、大会はいい思い出になった」(康英賛選手)。 中大阪は、「11人だけ」で大会に挑んだ。交代選手はいない。 「誰も抜けられへんねん」と話すオモニたち。 チームは、6年生が3人、5年生が6人、4年生が2人で構成されている。大会中、熱中症で1人が抜けるというアクシデントにも見舞われた。 「単設学校」1期の「象徴旗」としてオモニたちから子どもたちへの想いが伝われば、との思いで作ったセットンの横断幕は、とりわけ目を引いた。今後、サッカー以外の大会にも持っていくという。 試合で勝つごとに涙するオモニたち、そして鄭徳杉監督(31)と生徒らの深いきずなが印象的だった。 ▽西神戸 初日、西神戸の選手らの半分以上が泣いていた。京都第2、埼玉に連敗し、3部リーグでの試合が確定したためだ。同校は会場から一番近くに学校がある。 徐炳朝監督(29)は「技術うんぬんよりも気合いと勝ちたいという心意気を高く持つように指導してきた」という。夏休みの間、チームは「戦う集団」に変貌した。 「ボールをつなげる組織的なサッカー」を教え込み、それが要所に現れていた。 地元開催ということもあり、子どもが卒業した同胞らも含め学父母らが応援に駆けつけていた。 ▽山口 「山口〜チャルハラ〜」と大きな声で叫ぶオモニたちがいた。 「11人制競技への出場に意味がある」と口をそろえる。 下関、宇部、徳山の合同チームは今大会、山口県下すべての学校の合同チームで初出場した。大会には5人のオモニたち(下関から韓裕子さん、表哲子さん、宇部から李泳玉さん、徳山から尹一美さん、金貞恵さん)が駆けつけた。 時間的、財政的支援を各学校のオモニ会が幇助し、徳山もしくは下関で行う月2回の練習を支えてきた。生徒らの移動時間は往復5時間かかるという。練習後には、各オモニ会で食事をもてなした。 「いろんな学校が合同チームで出ている。自信を持てた」と韓裕子さんは話していた。 [朝鮮新報 2006.8.10] |