〈第12回在日同胞大登山大会〉 福島 磐梯山 17都道府県、170人の愛好家が紅葉満喫 |
15、16の両日にかけて、福島県・磐梯山(1819m)で、在日本朝鮮人登山協会(金載英会長)主催による第12回在日同胞大登山大会と五色沼の散策が17都道府県から約170人の同胞愛好家、朝大学生らが参加して、盛大に開かれた。11年目を迎える同登山大会は、これまで一度も雨に降られたことがない。今年も晴天の予報はズバリ的中。さわやかな秋晴れに恵まれて、参加者たちは磐梯山が織り成す秋の紅葉を満喫していた。 「そこに同胞たちがいるから」
参加者の中には、愛知、岐阜から李淑姫さんら15人がマイクロバスで10数時間もかけてやってきたのをはじめ、大阪からも夜行バスで洪春喜、鄭恵順さんら2人がかけつけた。また、7大陸最高峰登頂に挑み、現在、南極とチョモランマを残すだけとなった登山家の鄭義哲さん(34)のパワフルな姿もあった。鄭さんは磐梯山の八方台登山口で各地同胞たちの握手攻めにあいながら、ゆったりした足取りで登りはじめた。 先月ヨーロッパのモンブランに登ったばかりの鄭さんは、黄や赤に色づいた山の景色に目をやりながら、「同胞たちと一緒の登山は、掛け値なしにうれしい。みなさんが僕のことを知っていて励ましてくれるのもありがたい」とさわやかに語る。
東京から来た全瑛玉さんも、同胞登山大会の常連の一人。今年3月、韓国隊のヒマラヤ・ローチェ山(8516m) 登山に同行、5000メートルのベースキャンプまで無事登攀したベテラン。「最初は2000メートル辺りから登りはじめて一日300メートルずつ進み、約2週間かけて歩きました。高山病にもならずにラッキーでした」。 世界の屋根といわれるヒマラヤを登っても、やはり、気のおけない仲間たちと一緒に登る山の醍醐味が一番と顔を綻ばす。山頂付近1700メートルの山小屋のある地点で、コーヒーを沸かし飲みながら、眼下に広がる山すそや猪苗代湖の美しい景観を肴に談笑していた。 古来、人は山を題材に詩や歌を詠んできた。山は汲めども尽きぬ文学や哲学の泉なのかも知れない。東京から参加した朴在洙さん(80)は、秋色に染まる山を見ながら、しみじみとした口調で語る。
「老境にはいってこそ感じるものがある。はかなげに風に揺れる木の葉にさえ、目をとめ愛しむ気持ちがふつふつ沸いてくる。過ぎし日々への愛惜と次の世代へ愛と希望を託す気持ちかも知れません」と山道を一歩一歩踏みしめる。先月、数十年来の親友を病で失った。「とくにこの2年間は毎週日曜日に囲碁を楽しんできた。2人とも亡国の民として、植民地時代に渡日。愛国活動に半生を捧げ、最愛の子どもを帰国させた。子や孫たちに会うために祖国訪問するのが楽しみだった」。すべてをわかり合えた人との永訣。その朴さんの喪失感を癒すように、降り注ぐ木漏れ日やせせらぎの音が何とも心地よい。 北海道から昨年に引き続き2度目の参加となった李達銖、鄭玉貴さん夫妻も、楽しく語らいながら山を歩いた。「蓼科で同胞たちと一緒に山登りする喜びに初めて触れて、今年もほかの予定をキャンセルして飛んできた。普通の人は登山の喜びを『そこに山があるから…』と説明するが、『僕はそこに同胞たちがいるから…』といいたい。みなが在日として人生の苦楽を共にしているからこそ分かち合える空気がそこにあると思う」と李さん。今年の正月、初孫が誕生した。その孫が成長して、山を一緒に歩けるようになれば、と目を細めていた。 10年前からほぼ毎年この登山に参加してきた東京の申智恵さんも、参加の理由を「そこに同胞たちがいるから…」と破顔一笑した。
「ミサイル、核問題を口実にした困難な状況が次々と同胞たちの日常に影を落としている。日本のテレビだけを観ていると、正しい判断はできない。そんな中で必要なことは、同胞の集いにできるだけ参加して、同胞たちと支えあい、話し合い、そこから力を得ることだ」と柔和な表情で語った。申さんの長男は現在、新潟初中で教鞭を執る。「朝鮮学校の子どもたちを何よりも愛する息子が最高の生きがい」と朗らかに笑った。 初日は磐梯山の麓から山頂までの往復約5時間を走破。夜は麓のホテル白雲荘で、宴会とキャンプファイヤーで賑やかに過ごした。地元福島登山協会はじめ各総連機関や同胞たちからキムチなど盛だくさんの差し入れがあり、参加者らは卓を囲んで大いに飲み、大いに語らった。(文=朴日粉記者、写真=盧琴順記者) [朝鮮新報 2006.10.20] |