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〈第86回全国高校ラグビー大会・東京都予選〉 東京朝高 2度目の決勝戦 「花園」夢敗れる

東京高校に6−8で惜敗

 第86回全国高校ラグビー大会・東京都予選(第2地区)の決勝戦が19日、秩父宮ラグビー場で行われ、東京朝高は東京高校に6−8で敗れ、全国大会出場を逃した。東京朝高は2000年の第80回大会の都予選決勝でも東京高校に敗れている。

 6年ぶりに決勝へ駒を進めた東京朝高は前半から果敢に攻め立てた。3分にPGで先制。その後、相手にトライを奪われ3−5で後半へ。東京朝高は、自陣ゴール前で相手の猛攻をしのぎ切り、16分にはPGで6−5と逆転。しかし終了2分前(ロスタイム1分)に反則でPGを与えて6−8で逆転負けを喫した。申鉉秀監督(41)は、「ロースコアの接戦だったが、ここぞという勝負所で勝たないと全国大会へは行けない。去年は準決勝、今年は決勝へ進んだ。来年こそは『花園』へ行けるよう素人集団を全国レベルへとしっかり引き揚げていきたい」と語った。

6年前の決勝戦

果敢に攻めるも相手の固いディフェンスは崩せなかった

 知る人は思い出す。6年前、秩父宮ラグビー場での出来事を。「全国」への挑戦が始まって7年目に初の都予選決勝の舞台に立った東京朝高。相手は東京高校だ。同年に一度勝っていた相手だったが、実力を発揮できないまま7−13で惜敗した。「次こそは」と雪辱を誓ったが、なかなか日の目を見ることはなかった。

 それから歳月が経ち、徐々に実力を備え始めた。申監督の1人体制だった部に、2人の専属コーチが新たに加わった。東京朝高ラグビー部OBで同校教員の呉昇哲コーチ(28)と大阪朝高ラグビー部出身で同校教員の邵基学コーチ(25)のフォワード、バックスへの徹底した指導によりチームにまとまりが見え始めた。

 04年10月には東京朝高のグラウンドが人工芝となり、都予選の会場にもなった。そして昨年、都予選準決勝で国学院久我山に僅差で敗れたものの、全国レベルに近づいているラグビー部の実力に関係者らが注目し始めた。同胞たちのラグビー熱も一気に盛り上がった。「花園」へあと一歩。選手たちも「やればできる」と自信をつけていった。

 そこで迎えたのが3月の第7回全国高校選抜大会。実力が正当に評価され「チャレンジ枠」に選出されるまでにもなった。全国の強豪との経験が東京朝高の実力を大きく押し上げていった。

 夏の在日朝鮮学生中央体育大会決勝戦では、大阪朝高を破り23年ぶりに優勝、士気が大きく高まった。チームを引っ張る文炯駿主将(3年)が兵庫国体で都代表選手として選出された。ここでの経験がまた一つ、チームを大きく躍進させる要因となった。東京朝高の都予選決勝進出は確実視されていた。期待を裏切らない、堅実なラグビーで予想通りに第2地区決勝の舞台に立った。

お前たちの時代

徐永徳選手が2度目のPGを決めて逆転したが…

 19日の都予選・決勝戦。「リベンジ」。東京朝高にとってはこの言葉が一番妥当なところだろう。ただそれは申監督の心の中での話だ。今のチームは昔とは違う。「6年前の話は選手たちに特別したことはない。今のチームには今の色がある。お前たちの時代なんだ、目の前の相手に集中しろと言った」。

 戦前予想は互角。接戦のロースコアで勝負がつくと予想されたが、それが的中することになる。

 雨が降り注ぐ中、たくさんの同胞たちが勇姿を一目見ようと駆けつけた。入場前、仲間同士で互いに体をぶつけあい鼓舞した。目は涙目なのか血走っているのかわからないくらい、とにかく興奮状態に陥っている。

 先輩たちが果たせなかった夢を背負い、東京朝高史上初の「花園」出場を賭けた試合が始まった。

 前半開始から3分、東京朝高は相手の反則から得た35メートルのPGを15番の徐永徳選手(3年)が左足で決めて先制した。

 東京朝高はその後、いく度となくモール攻撃で前に進むも、相手の固いディフェンスをなかなか突き破れずにいた。そして前半15分、東京高校が東京朝高のゴール前10メートルの右ラインアウトからモールで押し込んでトライを奪った。前半3−5。

後悔ないラグビー

涙する3年生に声をかける申鉉秀監督

 後半は互いに一進一退の攻防をくり返しながら得点チャンスをうかがった。そして後半16分、東京朝高がまたもや35メートルのPGから徐選手が決めて6−5で逆転に成功した。同胞たちは沸きに沸いた。試合終了まで残り14分。ここから東京高校の猛攻が始まった。

 東京朝高のゴール前、10、5メートル地点での攻防戦は終了5分前になっても続いた。押しては押し返される展開に観客らはハラハラしながら見守った。

 「ここがふんばり時だ。最後まで守れ!」。同胞たちの声は悲鳴のようでもあった。ここで1トライでも奪われれば、敗れるのは誰が見ても明らかだ。

 そして東京朝高の勝利を確信した終了1分前。悪夢のような光景が目の前に広がった。東京朝高の反則で相手にPGを与えてしまった。距離22メートル。観客らはボールを蹴り上げるその一瞬を静かに見守った。ボールは弧を描いてきれいに東京朝高ゴールに吸い込まれた。6−8。

 ロスタイム1分。逆転するにはあまりにも時間が短い。ここでノーサイド。

 同胞観客席からはため息がもれ、選手は泣いて泣いた。下を向いて顔をあげられずピッチにうなだれた。「最後までしっかり。顔を上げろ」−申監督の声が選手の声に届く。それでも選手たちは顔をあげられなかった。

 申監督は泣き止まない3年生ら一人ひとりと握手し、「みんなよくがんばった。これが勝負の世界。どこに行ってもこの経験をしっかり胸に刻んで生きてほしい」と声をかけた。

 申監督は試合をふり返り、「一定の強さを保ったチームに成長できた。もっと経験を積んでここぞという時にチャンスをものにできるチームを作っていきたい。素人集団を全国レベルにまで引き上げ、来年こそ『花園』へ出場してみせる」と心に誓った。

 文主将は「敗れたのは悔しいけれど、全力をつくして後悔のないラグビーができてよかった。敗れたのは最後の最後で詰めがあまかったから。来年、後輩たちには笑ってもらいたい」と語った。

 勝利の女神は東京朝高にほほ笑まなかった。しかし、「花園」初出場の切符をつかむ日がそう遠くないことを確信させてくれた決勝戦だった。(文=金明c、呉陽希、写真=文光善、慮琴順記者)

同胞応援席の声 「来年こそは」

 「本当によくやった。今年、決勝戦まで進出して昨年よりも確実に朝高生たちの実力が上がったと思った。昨年、今年と涙をのんだが、『3度目の正直』というように来年に期待したい」(同部ラグビー部OBの母親の金春美さん)

 「これまで選手たちがどれだけ同胞に力と感動を与えてくれたかわからない。『よくやった』の一言に尽きる。このパワーを後輩たちが受け継いで、来年は『花園』の切符をつかんでほしい」(9番、金正泰選手のアボジの金東輝さん)

 「先輩たちの姿からたくさんのことを学んだ。来年こそは必ず花園へ行きたい」(ラグビー部2年の尹成賢選手)

[朝鮮新報 2006.11.22]