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愛される理由

 男性を主人公にして延々と続いてきた争いの歴史は幕を下ろし、いよいよ人類史上初めて、傍流だった女性も同等に参加し、全人類が創造する「争いのない平和21世紀」が始まるのだ! と胸をワクワクさせながら夢見た日から、すでに6年がたつ。

 公平なルールに従った、たとえばスポーツのようなひたむきな力比べは、勝っても負けても両者間にさわやかな連帯のきずなを生み出す。

 だが、象徴的ともいえる「9.11」から始まった21世紀は、殺りくが繰り返される「弱肉強食」の現実であった。

 強者が勝ち続けるために「ルール」は常に強弁され、都合よく変えられるのだということも目にした。

 年末年始、日本人に愛されている司馬遼太郎を読み返した。

 哲学者である鶴見俊輔氏は、「司馬作品には毒がない。加えて国家主権批判の理論を述べることはしないし、戦争責任追及という道もとらない。だからこそ広く読まれた」という。

 しかし、私たちは日本という国に外国人として暮らしているのである。

 私ごときでさえ、インターネット上では「反日的」星三つにランクされているそうである。
 批判や責任追及をしなければ愛されるのであろうか? 誰に?

 人との真実の出会いを望むからこそ、今も、私は書いている。(朴才暎、奈良在住、女性問題心理カウンセラー)

[朝鮮新報 2006.1.15]