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「カウンセリングという仕事」

 女性のためのカウンセリング・ルームを立ち上げて9年になる。この間、数えられないほど多くの人々と出会ってきた。最もうれしく思うことは、カウンセリングが問題解決に役立ったと感謝され、良い形で終了できた場合だが、残念ながら時にはあまりお役にたてない場合もある。カウンセラーに専門的な訓練やさまざまな知識が必要であることはいうまでもないが、カウンセラーとしての第1の条件は、人としての倫理観を厳しく備えていることではないかと最近ことに思う。真っ直ぐな心であろうとする「志」とでもいうか。

 カウンセリングに通うには、お金も時間も労力もかかる。そのうえ、クライアントは見ず知らずの人に自分のすべてをさらけ出すのである。彼女たちが映し出す真剣な人生の「鏡」のようなポジションで自分の仕事を考えるとき、いつも心を澄まして正直でありたいと思う。

 しかし、いかんせん人は自分の「歪み」にはなかなか気づかないものである。昔「反省するなら猿でもできる」というキャッチ・コピーがあったけれど、省みるという静謐で心の深い営為は、自らの身を削り血を流すような、知的で哲学的な行為である。その習慣がなければ「しまった」と思うことはあっても、省みる行為は生涯縁のないことかもしれない。

 最低限、自らの正体と真摯に向き合い格闘する覚悟がなければ、悩み、混乱し迷って相談にくる人々と向き合うことなど到底できない。カウンセリングは、まじめで清らかで、胆力のいるプロの仕事であると、つくづく思っている。(朴才暎、女性心理学カウンセラー)

[朝鮮新報 2006.6.5]