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「1を知って10を語る」

 「1を知って10を語る」−。

 今でも心に残る大学時代の先生の言葉。

 初めて聞いたときは冗談めかして言う先生の話を笑った。

 あれから10年以上経った今、なぜかその言葉を思い出す。

 埼玉県から岩手県に嫁いで5年目。

 右も、左も、ときには言葉もわからないこの地で、ひょんなことからハングル講座の講師を引き受けることになった。

 講師になって8カ月が過ぎた。

 日本人23人の受講生たちの習いはじめたきっかけはさまざまだが、熱意は半端じゃない。

 あいさつは当たり前、電話は「ヨボセヨ」、自分の夫を「ヨボ」と呼び、驚いたり焦ったときには「オモオモ」「オマナ」。

 言葉ばかりでなく、文化も風習もすべてを知りたい人たちなので、私の盲点をついてくる。

 でも、自分にとって知ってるつもりの「普通のこと」は、(確かこうだったような…)とあいまいで、鋭く切り込まれると言葉につまる恐れがある。

 そんな時、「1を知って10を語る」機知があれば最高なのだが、悲しいかな、そんな話術(?)、き弁(?)を施す術もない。

 ただ口先だけでごまかすのではなく、実際には1つの物事を語るためには10以上の知識が必要で、どの角度から切り込まれても答えられるようにしなければいけない。

 「韓流」のおかげで「脱・知ってるつもり」を目指す毎日…。

 道のりは険しい。(金秀和、岩手県在住、ハングル講師)

[朝鮮新報 2006.7.22]