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「微妙な位置」にいる私

 今まで友人といったら朝鮮学校の卒業生だけだった。だから、同胞数が数えられるくらい少ないこの地に来て、私の交友関係は180度変わった。

 岩手県の片田舎でできた初めての友人は、日本人と結婚した韓国人妻だった。私より10歳以上も年上の彼女は、幼い娘を持つ「オンマ」としてはもちろん、同族というだけで絶対的な信頼をよせてくれた。

 そして、日本人の友人。ハングル講座の受講生も大勢いるが、一番親しく一番近い友人もこれまた私より10歳以上も年上。

 そして私たちはみな、子どもが4歳。

 そんな3人がお互いの家も行き来して集まるようになった。すると、私はとても微妙な位置にいることがわかってきた。

 韓国の国民性、日本の国民性を十分理解しつつも、どちらも自分とは「ちょっと違うな」という感覚。これは在日朝鮮人特有の感覚だと思う。都合によってあっちの輪に入ったり、こっちの輪に入ったり。

 「スファちゃんは日本人の感覚なのよ」と言われると良い気分はしないけど、「スファちゃんはやっぱり日本人の感覚をよくわかってくれるね」と言われると少しうれしい。

 私以外の2人にしばしば生じる感覚のずれと誤解は、時には国際問題にも発展しかねない。これは些細なことだけれど、個人ではなく国同士となると、いろんな問題を巻き込む恐れがある。

 こんな時、双方を理解でき、なおかつ解決している私ってすごく活躍できるのになぁ…と思う今日このごろである。(金秀和、ハングル講師)

[朝鮮新報 2006.8.11]