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民族への好感と共感を次代へ

 「機内食はでるの?」

 でない。米子−羽田間のフライトで機内食はでない。しかし、東京へ戻る直前のこと、ある同胞の問いに思わず「大丈夫です」と答えてしまった。なにが大丈夫なのだろうか、と今では思う。

 しかし、よくよく考えれば、「食」と「礼」を尊ぶわが民族の愛情から出た言葉にほかならないことがわかる。民族の風習に共感を覚えるのは「教育」の賜物だろうか。

 鳥取の同胞たちはそのルーツを炭鉱、港開発の労働力として強制を強いられた1世たちに持つ。民族心、こと朝鮮語に対しての渇望は強い。現在、地域に朝鮮学校はないが、彼らは驚くほど朝鮮語を流ちょうに使いこなす。とくに50代の同胞たちには目を見張るものがある。

 彼らが民族に触れ、言葉を学んだところは「夜間学校」だった。父母になった彼らは、子どもたちを寮に入れ民族教育を学ばせている。「夜間学校に通うのが嫌で嫌でしかたなかった。でも今があるのは、夜間学校があったからなんだ。感謝している」と語る。今も「夜間学校」は運営されており、多くの子弟が民族を培う大切な場所として存在している。「守るのか、失くすのか」の発言は自身への問いかけのように聞こえた。

 子どもたちの未来を考えようと昨年末に開催されたシンポジウムでは文化、風習、知識の個別的な習得だけでは民族心を得ることは難しく、民族に対する共感を通して民族への愛情を表現していかなければいけないということが指摘された。

 民族に対する心からの好感と共感は、次代への自信となる。(丘)

[朝鮮新報 2007.1.16]