top_rogo.gif (16396 bytes)

〈解放5年、同胞通信事情−中〉 通信社の草創期−朝鮮通信社の設立−

設立の意図

設立当初は大衆新聞社社屋に建設通信社の事務所があった(46年9月発行「解放一周年記念写真帖」より)

 1948年10月1日に日刊建設通信第1号が発行された。発行所は東京都中央区日本橋本町1−8、建設通信社、編集兼発行人は許準であった。日本語版である。

 朝鮮民主主義人民共和国創建後、在日同胞の間では新たな通信報道機関の設立が求められた。とくに共和国に関する報道が少なく、また偏った報道が多く、迅速で正確な報道が入らない状況で、朝鮮に関する専門的な通信報道機関の設立が強く求められた。

 建設通信社は、設立趣意書にもとづいて設立発起人を募り、設立された。発起人は金天海、金桂淡、姜相大、尹鳳求、孫万吉、許準、白宗元の7人であったという。建設通信社は、解放後いくつかの通信社が存在したが、朝鮮民主主義人民共和国創建を機にして朝鮮の消息を伝達報道することを使命として発足した初めての通信社といえよう。既存の通信社は北南の情報を、あるいは一方の情報を、日本や同胞の新聞社や個人に販売する営業を目的としていた。

 建設通信社の性格は、設立当初からはっきりしていたが、朝聨と民青が強制解散された厳しい情勢下での建設通信社社告(1949年9月26日)にも如実に表れている。社告では、朝聨と民青に送っていた通信を一時中止しているとしながら、本通信社が「民主主義人民共和国発展に直結させる唯一な通信ということを銘記」するとし、各機関はもちろんのことそのほか必要な方は個人読者として再申込みをしてほしいと訴えている。共和国直結を明確に打ち出し、受信、配信する通信社としての機能を果たす決意を新たにしたものといえる。

開設当時

「建設通信」創刊号(歴史研究所所蔵)

 建設通信社は、解放直後から新聞を発行していた解放新聞社の「通信部」を独立させる方法で発足した。社名を建設通信社としたのは金日成主席の指導のもとで進められる新朝鮮建設の消息を知らせる通信社という意味であった。部局は編集局と経営局で構成された。社長金桂淡、編集局長許準、経営局長柳大雄が創立当初の編集運営を担当した。日本語版であった。

 建設通信は、米軍と旧日本軍が使っていたラジオ受信機1〜2台を使い、朝鮮中央通信社からでるモールス符号で発信される通信報道と平壌放送を受信し、それを翻訳編集するとともに、在日朝鮮人運動に関しても取材して掲載した。南朝鮮の合同通信も受信し、とくに南朝鮮人民の反米統一運動を広く知らせた。そして「時の焦点」というコラムも掲載した。

 創刊号は、躍進する共和国の工業や9月25日、南朝鮮の羅州警察署が朝鮮民主主義人民共和国の国旗とビラを製作中という理由で50人以上を逮捕したなどの報道、解説、朝鮮民主主義人民共和国政綱(1)などを報じた。とくに第1号では普通江改修工事起工式に参席し、スコップで作業する金日成主席の写真を報道した。これは通信社としては日本で初めてであるとともに世界にも初めて発信された写真だという。創刊号から現在まで発行された建設通信、朝鮮通信は朝鮮通信社に大切に保管されている。(呉圭祥、在日朝鮮人歴史研究所研究部長)

[朝鮮新報 2007.1.27]