top_rogo.gif (16396 bytes)

〈Tuttiと私 @〉 アンニョンハシムニカ

 「Tutti5周年記念コンサート あなたとわたしを結ぶ音〜楽」(11日)では、同胞障がい者、朝大生ボランティア、保護者(朝大生が代読)らがリレー手紙を読み上げ、観衆の涙を誘った。そのうち4つを連載で紹介する。

 あなたと、私。障がい者と、私。Tuttiと私…。

 私はTuttiというサークルの存在を、朝鮮大学校に入学して初めて知りました。慣れない大学生活の中で、ふと耳にしたTuttiという存在。はじめは、どういうサークルなのか、どんな活動をしているサークルなのか、見当もつきませんでした。

 けれど、私にもわかったことがありました。それは、そこにいるみんなが、とても楽しそうだということ。

 Tuttiって良いなぁ…。いつ頃からか、私もTuttiに入りたい! と強く思うようになりました。

 Tuttiの活動に初めて参加したとき、私は目の見えないヂンソンオッパという方につくことになりました。どうしよう、なにをすればいいのだろう…? 私はヂンソンオッパに声をかけることにすら、なぜか怯えていました。

 何で怯えているのだろう? この怯えこそが、障がい者と私を隔てる壁なのかもしれない。

 私は思いました。こんな壁に負けてたまるか! 勇気を出して発した、思わず上ずった声での、ささやかなあいさつ。「アンニョンハシムニカ(こんにちは)」。

 ヂンソンオッパは私に、こう言いました。「アンニョンハシムニカ。トンム、イルムン ムオシイェヨ?(こんにちは。君の名前は?)」。

 「ソン・チファイムニダ! チャルプタッカゲッスムニダ!(ソンチファです! よろしくお願いします!)」

 何だ、私、言えるじゃん! 当たり前のことなのに、あいさつをした私の胸には、なぜか熱いものが込み上げてきました。

 それから私は、ヂンソンオッパといろんなことを話しました。音楽のこと。Tuttiのこと。民族のこと…。「本当は踊ったりするの、ちょっと恥ずかしいんだ」と照れながら話すヂンソンオッパと笑いあっていると、怯えていた自分が嘘のように思えてきました。

 何で怯えていたのだろう?

 それはきっと、彼らに対する、「怖い」という怯えではなく、「本当に自分が受け入れられるのだろうか」という、自分自身への怯えだったのではないかと思います。本当は、自分に自信がなかっただけなのに、それを障がい者に対する怯えと思いたかっただけなのかもしれません。難しく考えてしまって、難しいことと思い込んでしまう。でも本当は、あいさつをすることって、そんなに難しいことではないはず。

 だってあいさつは、すべての始まりなのだから。

 「アンニョンハシムニカ」

 Tuttiと私はここから始まったのでした。(朝大生、宋智華さん)

[朝鮮新報 2007.2.26]