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「私は死なない」

 「私は何も変わってない。永遠に『慰安婦』。ただ年をとっただけ」

 2月21日、参院議員会館で行われた集会で日本軍「慰安婦」被害者の李容洙ハルモニはこう述べた。

 2月15日に米議会初の日本軍「慰安婦」被害者を招いての公聴会で証言したばかり。先月18日に来日し、3月はじめまで証言集会やそのほかの行事に参加した。

 「慰安婦」被害者が初めて自身の名前を明かし、日本政府を相手に謝罪と補償を求めて訴訟を起こしたのは1991年。15年以上も前のことだ。

 今日まで被害者とともに多くの人が過酷な事実に怒り、たたかってきた。

 しかし、問題はいまだ解決ならず。日本当局は「謝罪」や「補償」はおろか、あげくのはてには、事実を「否定」し「不快感」まで露骨に表している始末だ。

 当時10代後半くらいだった被害者は現在70、80を超えている。「慰安婦」生活によって病気を患い後遺症を抱えている人も多い。

 李容洙ハルモニとともに米議会で証言したオランダ人のジャン・ラフ・オハーンさんは証言台で「日本人は私たちが死ぬことを待っているが、私は死なない」と気丈な心構えを語った。

 昨年は18人の「慰安婦」被害者が亡くなっている。

 「時間がない」。問題解決を心から望む人々の共通認識だ。しかし、いつまで言い続ければいいのだろうか。

 歴史わい曲の中で育った世代にまで問題を持ち越そうとするのか。また怒りがわいてくる。(陽)

[朝鮮新報 2007.3.5]