top_rogo.gif (16396 bytes)

5月12日、埼玉・日高市高麗川で野遊会

今年はきっと、五月晴れ

高麗川のほとりで毎年開かれる野遊会には多くの人が訪れる(00年)

 桜の花が散り始めると、森や山は一気に新緑の季節を迎えます。そして、春の明るい陽ざしの中で緑が色濃くなると、高麗野遊会の季節です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。今年も恒例の「高麗野遊会」開催のご案内をいたします。古代からの日朝の歴史ゆかりの地である高麗郷で日本人と朝鮮人、韓国人が1年ぶりに親しく再会する喜びと楽しみは格別です。

 昨年の高麗野遊会は、あいにくの雨模様の中での開催でした。でも「雨ニモ負ケズ」しっかり充実した野遊会を開催することができました。

 よく高麗野遊会の成り立ちについての質問を受けることがあります。簡略にふり返りますと、1972年に東村山市に居住する、市民、市職労、東水労など、十数人が朝鮮問題を勉強しようということで集まり、東村山朝鮮問題研究会を立ち上げました。勉強会は、毎月さまざまなテーマを決めて行われました。私自身、当時は朝鮮について何も知りませんでした。それどころか誤った認識も多く、民族差別についてもまったくの鈍感でした。なにせ、歴史勉強会でも「朝・日関係史」を「あさひかんけいし」と読みまちがえるくらいだったのです。しかし、古代から近代までの日朝関係史を学んでいくことで、少しずつ変わっていくことができました。ついこの間の親の世代に、日本が朝鮮を侵略支配していた、そんな歴史も知らず、「日本社会の変革」とかを叫んでいた自分の浅はかさに恥じ入るしかありませんでした。

高麗神社の宮司の話に耳を傾ける参加者たち

 そして朝鮮問題の学習を糧にしながら、同時に日朝・日韓連帯運動を地域で起こしていくことになります。朝問研活動は、一貫して隣接地域の小平市にある朝鮮大学校の教職員の方々との連帯関係で進められてきました。「朝鮮語講座」をはじめ、「日朝友好連帯市民の集い」や「日朝友好バザー」「韓国民主化連帯」「金大中氏救出運動」など、多くの市民が参加する活動を広げました。

 高麗野遊会は、1982年に多摩湖畔で開催した「日朝友好お花見大会」が源流です。その後、場所を高麗に移し、野遊会として東水労日韓活動者会議が合流して行われ、さらに実行委員会に「朝鮮総連西東京」や「三多摩日朝女性の集い」も加わり、現在のように盛大に開催されるようになってきました。

 いま日朝をめぐっては、「従軍慰安婦」問題や強制連行などの朝鮮侵略植民地支配の歴史的事実を覆い隠し、ねじ曲げようとする動きがまたしても強まっています。また、在日朝鮮人の人権を侵害する不当な弾圧が相次いで行われています(朝鮮総連への不当な政治弾圧を糾弾する日比谷野音での3.3中央集会、デモへの連帯激励行動に数人ですが、高麗野遊会実行委員会のメンバーが代表参加しました)。

 これらの動きを見ると、なにやら日朝友好を願わない勢力が「圧力」「制裁」「権力」を振りかざし、いろいろと「対話」への方向を妨害しようと策謀しているようにしか思えません。しかし、今年2月の6者協議の合意で、朝米がこれまでの敵対関係の解消へ歩み始めています。日本も作業部会で「日朝平壌宣言」に基づき、日朝国交正常化の実現に向けて歩み始めるべきです。

 高麗川の河原で日本人と朝鮮人が一堂に集い、七輪を囲み、焼肉を食べながら互いを語り合うことをきっかけに、参加した日本人が朝鮮と日本の歴史を学び、日朝友好の架け橋となり、一日も早い統一朝鮮実現の未来へ、共に歩むことこそが野遊会の意義だと思うのです。今年5月12日、埼玉・日高市高麗河辺の野遊会は、きっと五月晴れになるでしょう。高麗で会いましょう。(古田武、高麗野遊会実行委員)

[朝鮮新報 2007.4.14]