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後継者問題

 明らかに自分の存在が浮いているのを感じた。

 ここ最近、日本政府の総聯や在日朝鮮人に対する横暴な人権侵害に警鐘を鳴らす集会、朝・日国交正常化について考える学習会、「従軍慰安婦」問題に対し日本政府に真相究明を訴える集いなどを取材する機会があった。冒頭はそれらの現場で感じた正直な感想だ。

 主催のほとんどが日本の団体。参加者らは講師の話に熱心に耳を傾け、必死にメモをとっていた。話を伺ってみても、常日頃から現在の日本の状況に疑問を呈し、この状況を自分たちで改善していこうという問題意識をもって活動を繰り広げている、「正常な眼」を持った人たちだ。

 その中で筆者が感じた違和感。コメントをもらった女性の一言が核心をついていた。

 三多摩地区で日本の市民と在日朝鮮人の連帯を深める活動をしているその女性は、過去を直視し未来につなげていくことが大切だとしながら、そのためにできるかぎりのことをしたいと話した。そして「お宅(総聯)には若い人がたくさんいてうらやましい」と付け加えた。

 「若い人」。どの集会でも見渡すかぎり、筆者のような20代の若者はいなかった。若くても筆者の親世代といったところ。

 現在、このような活動を行う多くの団体が後継者問題に悩んでいるという。次の世代がなかなか現れないのだ。そんな中で、「朝鮮新報の記者」として会場に赴くことは「総聯の後継者」の一人として頼もしく(?)映ったのかもしれない。後継者の「使命」を改めて考えた。(陽)

[朝鮮新報 2007.4.28]