〈エッセイ〉 Kハルモニの贈り物 |
一緒に泣いた 86歳のKハルモニはいつも玄関まで出てきて、車に乗って帰る私にていねいにお辞儀しながら、車が見えなくなるまで手を振っている。その姿をミラー越しに見ながら、(いつかこの姿が私を辛くするのだろう)といつも思っていた。
娘さんから相談を受けたのは2年前だった。 「実家のオモニは一軒家で一人暮らしだが、最近の様子を見ると心配でおいておけない。でも、病院に入れれば抜け出そうとして骨折してしまうし、施設に入れても帰ろうとするので頼めない。ヘルパーを頼んでも助けはいらないと受け入れない。仕事をやめてオモニの世話をしているが、自分自身が認知症のオモニに対応することに疲れ、すっかり体調を崩してしまった」 とりあえず、顔なじみの地域の同胞ヘルパーが「近所のトンポ」としてハルモニの安全確認と薬の管理のため、1日1回訪問することから始め、私自身もヘルパーとして訪問することにした。 Kハルモニは腰痛を抱えているうえに認知症で、長年住んでいた一軒家に今独りで住んでいる。女性同盟委員長というだけで、初めて会う娘くらいの年の私を信頼し、家に入れてくれ薬も服用していた。 私が生活相談員をしているデイサービスセンター「せとマダン」に1回、2回と通ってくるようになり、1年後には週3回にもなっていた。営業日でない日にも、行きたいから迎えにきてほしいと電話がかかってくるほどになった。しかし、Kハルモニにとっては「デイサービスへ行く」ではなく「チブ(支部)へ行く」なのだ。私も迎えに行くと「オモニ、今日はチブがありますよ。チブエ カプシダ(支部へ行きましょう)」とお誘いする。「チブへ行くと娘も喜ぶし、おいしいご飯も食べられる」と、痛む腰にコルセットを着けて出かける準備をするという生活パターンができた。そんなKハルモニの腰が急に悪化したのは今年の3月だった。 痛くて起きあがることもできないハルモニに、医者ができることは痛み止めを処方することだけだった。トイレに行くことも難しい状態になったハルモニにできる介護は何かを家族と相談しながら、「なんで家庭を持つお前がここにいるのか」と一緒に泊まることも許してもらえない娘さんに代わって、私が夕方に訪問して安全確認をすることになった。すっかり暗くなってから訪問すると、こんな遅くになぜ来たのかと言いたそうなハルモニ。 「私の実家のオモニも今独りなんですよ、オモニ。去年の11月にアボジが亡くなったので…」と言い訳をする私に、Kハルモニは「私も寝る前にこうして(手を合わせて)娘に迷惑をかけたくないから、明日の朝には目が覚めませんようにとお願いするんだよ」と言った。 そう言われた瞬間、「オモニ…クロン マルスム ハシミョン…(そんなことはおっしゃらないで)」と言いながら、涙があふれるのを止めることができなかった。 認知症のため精神が不安定なハルモニ、10代の頃日本に来てからずっと朝鮮人として生きてきたハルモニ、日本のデイサービスも日本人のヘルパーも受け入れられないハルモニと、この時一緒に泣いた。 もっと活動したい 同胞ヘルパーのネットワークでハルモニを支えた結果、ハルモニは少しずつ回復し、痛み止めを服用しながら「せとマダン」に通っている。 3年前、自ら希望して女性同盟支部委員長としてこの地域の同胞と暮らすようになり、たくさんの同胞と知り合いになった。1年間の準備期間をおき、同胞の信頼を得ることを目標のひとつにデイサービスセンターを立ち上げた。デイサービスセンターを開設し、きちんと運営するために誠心誠意努力を重ね、ハルモニたち一人ひとりと向き合ってサービスの向上を目指してがんばってきたつもりだった。 人生の黄昏期を迎えたハルモニたちと一緒に時間を過ごしながら、故郷で遊んだ懐かしい思い出、日本に渡ってきた時の話、結婚して子どもを生み育て、女性同盟活動で会費を集め、歌を習い、権利擁護のためデモに参加し、学校を建て守った話などを聞かせてもらっている。そして私は今、3年前に自分に出した宿題の答えを教えてもらっている。 「民族とは何か? 祖国とは何か? 組織とは何か?」 民族とは私の存在自体であり、祖国とは守るべきものであると同時に限りなく私たちを守ってくれるもの。そして総連組織は…。 この期間、同胞の信頼を得るのが最大の課題と考え努力してきたつもりだったが、それは大きな勘違いだった。Kハルモニは、初めから無条件で女性同盟委員長の私を信頼してくれたのだ。精神が不安定ななかでも、いつも女性同盟委員長として対し接してくれ、私がお弁当を持って訪問すると「委員長は忙しいのに、私みたいなものを訪ねてくれて本当にありがたい」と口癖のように言いながら、「オモニ、お茶をいれてきますね」と台所に行こうとすると「委員長にそんなことさせられない」と拒まれる。「いえ、私が飲みたいから…」と言っても、「アンデヨ(だめです)」と返される。「そんな風に言われると、もうこれからここへ来られません」と言い返すと、「そんなことするならもうチブへ行かない」と返され、私のほうが言い負かされてしまう。 3年前、私は同胞たちが組織への信頼を少なからずなくしてしまっていると思っていたのだが、そうではなかった。私自身が自信をなくしていたのだった! デイサービスセンター「せとマダン」ができて1年半。生活相談員として週の半分以上を費やしているが「もっと女性同盟の活動がしたい」が口癖になってしまった。 今、同胞と出会うことが楽しくて(もちろん、辛いこともあるが)ドキドキ、ワクワクする。Kハルモニの贈り物―組織への「信頼」が、私の胸を熱くし自信を与えてくれている。 ウリトンポがすばらしい未来を築いていく予感がする。(女性同盟愛知 瀬戸支部委員長 朴美順) [朝鮮新報 2007.6.4] |