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近畿朝鮮歌舞団 岡山・ハンセン病療養所で公演

力与えたい一心で 02年以降3回目

 大阪、兵庫、京都の近畿地方朝鮮歌舞団が5月30日、岡山市から東南へ35キロ離れた瀬戸内海に浮かぶ長島の国立ハンセン病療養所邑久光明園を訪れ、音楽ボランティア団体「光の音符」とともに「初夏の海を越えて」と題して公演を行った。同公演は、主催者の「光の音符」のメンバーと文芸同京都の朴貞任さんとの交流をきっかけにして実現してきたもので、2002年から続けられている。歌舞団が同園を訪れ公演するのは今回で3回目。職員らは、「みんな感激している。本当にありがとう」と口をそろえて語った。

チョゴリ姿の出迎え

「アリラン好きや」−大好きな歌を団員らと歌う重度入所者ら(老人センター)

 歌舞団による公演は、園内にある恩賜会館と老人センターで2回にわたって行われた。

 恩賜会館では、公演が始まると入所者らが目をつむって耳を澄ませ、出演者と共に歌を口ずさんだ。そして、華やかなチョゴリをまとった歌舞団メンバーが登場すると、会場は一気にわいた。同園には視力の低い入所者が多く、色とりどりのチョゴリは視覚にいい刺激を与えるそうだ。「とにかく華やかな衣装には大きな反応を示す」とは、職員の感想だ。

 歌舞団メンバーは、「リムジン河」「涙に濡れた豆満江」「仮面の舞」などの歌と踊りを披露し、入所者から拍手喝采を浴びた。

 重度入所者が入所する老人センターでは、「歓迎光の音符様朝鮮歌舞団様ミニコンサート」と書かれた横断幕と、歌舞団メンバーに優るとも劣らない色鮮やかなチョゴリで着飾った4人の同胞ハルモニを含む入所者ら、職員らが歌舞団一行を迎えた。ハルモニたちがチョゴリ姿でメンバーを出迎えたのは今回が初めてのこと。

 メンバーは「故郷の春」「故郷」「扇の舞」などの歌と踊りを披露。ハルモニらは、「アリラン好きや」「ええなー」などと華麗な舞台を眺めながら、涙を流していた。

 歌舞団メンバーは、入所者らの大歓迎に感激しながら「チョゴリがコプタ(綺麗)と話しかけてもらったのがとてもうれしかった。来年もぜひ訪れたい」(李静香団員、兵庫、入団1年目)、「快く迎えてくれて感情が込み上がり、力を得られた」(劉正愛団員、大阪、入団1年目)、「ハルモニたちの期待に、私たちの歌、舞踊が少しでも応えられたならうれしい」(白佳実団員、大阪、入団3年目)などと感想を話していた。

民族文化との触れ合い

 邑久光明園には終日、穏やかな音楽が流れ、学校、病院、簡易郵便局などの施設がそろっている。

 老人センターには現在も、19人の同胞入所者が暮らしている。

 ハルモニたちの心からの歓迎に感極まって泣き崩れ「泣いたらあかん」と抱きかかえられるメンバー、その一方で民謡やチャンダンのリズムに合わせハルモニたちの肩をたたくメンバーの姿がとても印象的だった。「扇の舞」公演では「プチェを作った舞踊です。プチェを知っていますか?」「知っているよ!」−メンバーとハルモニらとの会話も聞こえてきた。

 「光の音符」との交流から、毎年2回は同園を訪れ、ボランティア活動を行っている朴貞任さんによると、02年当時は入所者の3分の1ほどが同胞だった。今もその割合に大きな変化はない。入所する同胞高齢者が、朝鮮の歌と踊りで彩られる「ウリ文化」に触れられる唯一の機会が、朝鮮歌舞団公演なのだ。

光を与え続ける活動

 くも膜下出血で倒れ、声が出なくなったという入所7年目のあるハルモニが公演中、会場の真ん中の席から孫のような歳のメンバーに熱い視線を送っていた。

 公演終了後、記者が「ハンメ、カゲッスムニダ(おばあさん、帰ります)」と耳元で囁くと、「声が出ないから」と世話人。それでも耳を澄ましてみた。

 「わかるから…」

 実際には口が動いただけだが、その「声」はたしかに聞こえた。

 ハンセン病は伝染力が極めて弱く、特効薬の出現や治療法の発達により完治できる病気になった。にもかかわらず、日本政府がハンセン病患者を療養所に強制隔離するという誤った政策を90年間も取ってきたことで偏見があおられ、多くの患者が人間以下の生活を強いられてきた。

 とくに、植民地支配による過酷な強制労働や貧困などひどい生活環境によって、朝鮮人の発病率は高かったという。今も、多くの同胞患者が日本各地の療養所で生活しているが、日本政府による年金差別や民族的偏見による2重、3重の差別の中で今も過酷な生活を強いられている。

 歌舞団メンバーの定期的なボランティア活動は、「隔離された」同胞たちに光を与え続けている。(李東浩記者)

[朝鮮新報 2007.6.11]