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〈北南共同宣言7周年〉 その恩恵を受けて

生き別れの父と再会の喜び

 2007年6月15日、「北南共同宣言」発表7周年を迎えた。

 北南の同胞はもちろん、海外同胞とりわけ在日同胞にとって、この日は忘れることのできない日であろう。

 私自身、この「北南共同宣言」の恩恵を誰よりも受けた一人だと自負している。5年前の02年10月、釜山で行われた「第14回アジア競技大会」に総連の応援団として訪問したのである。もちろん朝鮮選手の応援が目的だったが、もうひとつ大事な目的があった。その目的とは、私が1歳の時生き別れた、父との再会であった。

 父は、1960年代密入国で日本に来日し母と結婚、その後、私が産まれた。しかし、生後まもなく父の密入国が発覚し、長崎の大村収容所から強制送還されたそうだ。その後、母に女手ひとつで何不自由なく育ててもらい、12年間民族教育も受けさせてもらった。

 母との生活の中で父の話をしたという記憶はない。

 子どもに父のことを思いださせて、悲しい思いをさせてはならないと母は考えたようだ。ただ、母方の親せきや父の職場の同僚らにうっすらと父のことを聞かされていた。その当時はもちろん、父に会いたいなど考えすらしなかったし、父がいないことに後ろめたさを感じることもなかった。

 しかし、98年に母が他界し、ひとりになったとき、父の存在について意識する日が増えた。

 そして、歴史的な「北南共同宣言」が発表され、その後幸運にも南への訪問が決まり、父との再会を決意した。連絡先などもわからず父探しは困難だったが、本籍地に手紙を送るなどし、どうにか父と連絡がついた。そしてついに故郷済州島で再会を果たすことになった。

 父の記憶などまったくなかったが、父を見た途端一瞬にして心の中にあった、いろいろな事が融けるような気持ちであった。再会した父は、20数年の時間を埋めようと親子水入らずで名所を案内してくれた。「ここが、お前とアボジのふるさとだよ」と。

 今でもこの言葉が忘れられない。

 別れ際に、「日本に帰っても、これを見てアボジを思い出してくれ」と、言いながら、済州島名物「トルハルバン」をお土産に持たせてくれた父。

 今この「トルハルバン」は、わが家の玄関で私たち家族をいつも見守ってくれている。 現在、私は家庭を持ち、男の子の父となった。

 1歳の子どもを異国の地に残し、去って行かなければならなかった父の気持ち、再婚もせず私を育ててくれた母の苦労を今、このような立場になって、少しだけ理解できるようになった気がする。この祖国の恩恵、父母の愛情に少しでも応えられるよう、「統一世代」を教える教員として、また「統一世代」を育てる父親として、誰よりも民族や祖国を愛する人材を育てていこうと心に誓っている。

 それこそが「祖国統一」を近づけ、朝鮮民族すべてが幸せに暮らせる道だと信じるからである。(慎時男、神奈川、教員)

[朝鮮新報 2007.6.16]