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〈解放5年、同胞音楽事情−@〉 古い文化との決別−音楽の普及

民主民族文化の樹立うたう

 音楽は人間の生活、とくに朝鮮民族にとっては欠かせない大切なものである。解放5年、朝聯時代の音楽事情を概観するならば朝聯組織の方針、大衆音楽運動、音楽教育、専門家の育成、音楽家団体活動、歌謡の作詞作曲から普及、歌謡、歌手、作品、公演などの評価など総合的にみるべきである。

 この時期は、植民地時代からの転換期(克服、継承されない文化はない)であり、解放直後の混乱期、また米国の占領政策が日本の軍事基地化、兵站基地化政策へと鮮明になった複雑な期間でもあったこととも関連して、芸術、音楽などの評価がまた難しいときである。

文化活動とその方針

広く大衆に作品を募集する試みも行われた(朝聯中央時報1947年8月22日付)

 朝聯結成初期は朝聯組織の確立と帰国事業の便宜に力を入れ、第2回臨時大会後には生活安定と初等教育に力を入れなければならなかった実情から、文化事業のなかで芸術、音楽活動に多くの関心を向けることができなかったと思える。

 それでも朝聯が主導し、朝鮮独立祝賀大演奏会(1945年12月21〜23日、神田共立講堂)、同胞慰安大会(46年2月3日、神田共立講堂)などを開催し、また地方巡回楽団を編成して各地を回っている。参加者、公演内容など問題点も少なくなかったようだ。

 朝聯は、定期的に開催された文化部長会議と全体大会(とくに3全大会から)などで文化活動を総括し、方針を討議し、そのなかで音楽活動に対しても方向性を示唆している。

 朝聯の音楽活動方針を集約するならば、過去の植民地文化政策、同化政策の克服、民主民族文化の樹立、新朝鮮建設に寄与する文化、音楽活動の展開がその主な内容といえる。

 朝聯第5回全体大会では、民主民族文化の急速な樹立と文化の大衆化は、民主朝鮮建国途上において何よりも重要な課題の一つであったとした。しかし、根強い日本帝国主義の奴隷教育と奴隷思想の悪弊がいまだに朝鮮民族の「全身」を抑圧しているまま再び反動の非民主主義的反動文化政策の揺り戻しに直面しているとして、日本帝国主義の残滓の掃とう、封建主義残滓の清算、国粋主義の排撃、民主民族文化の建設、朝鮮文化と国際文化との提携などのスローガンを明示し、民主民族文化の理論的樹立、民主文化の大衆化、国際文化との交流と提携に対する活動方針を樹立した(朝聯第5回全体大会提出活動報告書)。

同胞の歌つくる

「朝聯文化」創刊号に掲載された「農民歌」

 朝聯は同胞たちが歌える歌曲をつくるよう働きかけた。46年に入り同胞の雑誌や新聞などで歌曲を紹介(例えば「朝聯文化」創刊号=46年4月=では「農民歌」など)するとともに同胞の歌をつくろうと努力している。46年後半だと思われるが作詞許南麒、作曲金永吉で「朝聯少年団行進曲」をつくりレコードにして発売、普及している。

 朝聯は「8.15解放記念歌」と「朝鮮人聯盟歌」の歌詞を募集した。その結果、前者は30篇、後者は32篇、応募人員は51人(女性3人)だった。同胞の文化水準とウリマル普及状態を念頭に置くならばこれは決して少なくないという結論を出している。応募者の職業は、朝聯、民青、女性同盟員、学生、教員、土木請負、商業など各界各層を網羅、地域的にも本州、四国、九州を含む20余県になった。審査は第1次予選、第2次予選を通して各10篇を選びその後第3次予選で審査したが結局入選作を出せず、佳作を各3篇と2篇選んだ。そして朝聯中総文教局に勤務する尹翰鶴(音楽家、初等教育教科書編纂委員)に作詞を依嘱し作曲は直ちに作曲家に頼むとした。後に尹翰鶴、金永吉がその歌詞の作曲を担当した。

 朝聯は音楽の普及に努める(次回に詳細)とともに同胞活動をパターンにした歌をつくっている。例えば4.24阪神教育闘争を表した作詞許南麒、作曲金敬在の「4.24の歌」(朝聯中央時報、詩は49年3月21日付、曲は4月11日付に掲載)、作詞許南麒、作曲韓甲洙「文工隊(文化工作隊、今でいう歌舞団のようなグループ)の歌」(解放新聞49年4月24日付)などを挙げることができる。(呉圭祥、在日朝鮮人歴史研究所研究部長)

[朝鮮新報 2007.7.28]