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〈解放5年、同胞音楽事情−A〉 生活と運動を牽引−「金日成将軍の歌」

 一般的に、歌のない生活など想像できないように同胞の中では多くの歌が歌われた。しかし何曲かの民謡と植民地生活を嘆く歌、郷愁の歌、恨の歌などがほとんどであった。朝聯には広範な同胞を網羅する団体として、解放された民族の希望や祖国の展望を示す歌謡、新朝鮮建設、民主朝鮮建設を目指す気概を込めた歌謡をつくり普及することが求められた。

 北半部では、金日成主席の指導のもと、日本帝国主義の残滓を清算し民主朝鮮建設期に相応しい新たな音楽が創造されていた。今日も人々に歌われている「金日成将軍の歌」「愛国歌」「人民共和国宣布の歌」、カンタータ「鴨緑江」などがつくられた。南半部では米国の軍事支配下であり弾圧が厳しかったが、1947年頃までは隠れながらも民主的な音楽活動ができたようだ。朝聯時代の音楽は、北南朝鮮の民主音楽活動をつよく反映していたといえる。

 朝聯時代の大会、会議、集会などでよく歌われたのはどのような歌であったのか。会議録や新聞報道をみると、朝聯の大会、中央委員会あるいは「3.1革命記念」大会、8.15解放記念大会などでは「独立の朝」「解放の歌」「8.15解放歌」など、民青など青年層では「民青歌」、少年同盟などでは「少年団行進曲」また4.24教育闘争時には「抗争歌」などTPOにあわせた歌を歌い気勢をあげた。

歌謡集の発行

「解放歌謡集」(46年発行)

 現在、在日朝鮮人歴史研究所には朝聯時代の4種類の歌謡集がある。「解放歌謡集」は当時の代表的な歌謡集だと思う。その表紙は「解放歌謡集」(朝鮮音楽同盟編)朝聯文教局となっており、奥付には46年4月23日印刷、46年5月4日発行、著作兼発行者は朝鮮音楽同盟であり、復刻47年5月23日発行で発行者は朝聯中央総本部となっている。ここには31曲が収録されている。

 発行されて1年後に日本で復刻されているので、発行場所ははっきりしない。ただ、31曲のうちの15曲が金順男の作曲である。金順男について資料によると、ソウルに生まれ、のちに日本で音楽(作曲)を学びプロレタリア音楽同盟の影響を受ける。46年2月の民主主義民族戦線の結成時には中央委員になり、またその後南朝鮮労働党に入党、47年には「人民抗争歌」を作曲した理由で逮捕令がでた。彼は48年春に北半部へ行ったとなっている。朝鮮音楽同盟(解放直後に結成された左翼系音楽家の組織)編とあるので南朝鮮で発行されたものと思われる。それでも共和国の「愛国歌」の作詞者である朴世永(ソウル出身)が3曲作詞しているので、交流かなにかがあってつくられたといえるのではないか。「金日成将軍の歌」(作詞李燦、作曲金元均)の制作は46年7月となっているので、これは明らかに当時の朝聯が復刻するときにそれを含めたと思われる。

 この歌謡集の最初にある「解放歌謡について」で金順男は発行の意図についていくつか述べている。ここに収録した30余曲は解放後に作曲した愛国歌謡および闘争歌謡である。愛国歌謡や闘争歌謡は広範な人民の叫びが必要でありよって人民の忠実な代弁者にすぎない。大衆音楽とは大衆の卑俗性と無批判的な妥協からでるのではなく大衆から愛され、なお指導性を備えた音楽でなくてはならない。次に、大衆の感覚の中に根強く残っている軍歌調を根本的に清掃することに留意した。反面、建設的な朝鮮的要素を引き出すために努力したと述べている。要するに植民地の残滓を払拭し、解放朝鮮民族の意気込みと希望を表した歌謡を選択したということである。

外国の歌も普及

「人民解放歌謡集」(48年発行)

 朝聯東京本部文教部編の「革命歌謡集」(発行日不詳)には32曲が収録されている。上記した「解放歌謡集」の歌謡のうちの12曲が含まれている。在日本朝鮮民主青年同盟東京本部文化部は「人民解放歌謡集」(48年7月15日発行、本研究所に千葉県在住の李槿愛氏が寄贈)を出している。ここには50曲が収録されている。朝鮮以外の国の歌謡も18曲が入っている。「革命歌謡集」32曲のうちに「人民解放歌謡集」の歌謡が19曲含まれている。東京組織が出した2冊の歌謡集は類似な点が多い。ただ上記の「解放歌謡集」よりも作詞家では朴八陽、作曲家では金元均など北半部で活躍した人の作品が目につく。在日本朝鮮民主青年同盟愛知県本部が発行した「革命歌集」には「金日成将軍の歌」をはじめ当時多く歌われた13曲が収録されてある。

 上記の4種類の歌謡集には、みな「金日成将軍の歌」が作詞作曲者を明らかにして紹介している。ただ、その歌詞や曲がどのような手段を通してどのように日本へ伝えられたのか、最初に公開された場所はどこなのかが定かではない。これを機会にご存知の方はご教示願いたいものである。(呉圭祥、在日朝鮮人歴史研究所研究部長)

[朝鮮新報 2007.8.4]