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言葉の耐えがたい軽さ

 7月下旬、平壌支局での勤務を終え、約4カ月ぶりに日本に戻ってきた。

 この間の情報を得るために、久々にテレビをつけインターネットを開く。がくぜんとした。日本国内の言語的退廃に、である。以前よりひどくなっている。

 政治家と言われる人びとの暴言や失言、メディアが発する悪意に満ちた「北朝鮮報道」など。怒りを通り越してあきれてしまった。

 しかし、あきれてばかりもいられない。朝鮮問題しかり、歴史認識問題しかり。軽薄な言葉に乗って偏狭なものの見方が社会に流布されていく現在の状況は、危険水位をとうに超えたように見える。

 例えば「従軍慰安婦」問題。今回の米下院での謝罪決議採択に至る一連の過程は、この国に蔓延する「言葉の耐えがたい軽さ」を浮き彫りにしたように思う。

 テレビ画面に映る安倍首相の顔に、平壌で話を聞いた元「従軍慰安婦」のハルモニの顔がオーバーラップする。自身の「慰安婦」体験を話す彼女の言葉は、日本に対する呪いにも似たものだった。決して理路整然とした「証言」ではなかったが、その言葉は重く、聞く人びとの心を揺さぶった。

 翻って、安倍首相の発言は、「軽い」。美辞麗句を並べようとも、その言葉の空虚さ、劣悪さは隠しようもない。

 「日本政府の取り組みに対して正しい理解がなされていないと考える」。米下院決議に対する日本政府の反応だ。

 「言葉の軽さ」はすなわち「思考の軽さ」にほかならない。重みをなくした言葉は劣化するしかない。(相)

[朝鮮新報 2007.8.27]