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空気読めてる?

 「KY」または「PY」という言葉をご存知だろうか。「若者言葉」のひとつで、同胞青年たちも使っている。朝鮮大学校の生徒たちがこの「言葉作り」に関連したとか、しないとか。真偽のほどはわからない。意味は「空気読めない」「雰囲気(朝鮮語で「プニギ」)読めない」。頭文字(?)を取って「ケーワイ」「ピーワイ」と使われる。「空気読め」の意で用いられることもある。

 見渡せばよくあることだ。たとえば、一言多い人がいる。「今、言うか?!」とギョッとすることもしばしば。しかし悪意はない。大事な会議中に寝てしまう人がいれば、議論の過程を無視して、なんでもまとめようとしてしまう人もいる。途中でさっさと自分だけ帰ってしまう人に、香水付け過ぎな人…電車の中だけに限らず、日本社会に留まらず、同胞社会の中にもある。「空気が読めない」がために失う信頼もある。

 「空気は大事だな」と感じた取材からの帰り道、ふと思い出されたのが、東大阪の、ある「新任」支部委員長の話。彼は、「同胞の前で一切の言い訳をしたくない。委員長である以上、自分は朝も夜もいつだって委員長だ」と、その顔を少しだけ赤らめて言った。彼が最初に取り組んだことは、同胞へのあいさつと朝鮮新報の配達だった。日本の朝刊に負けられないと朝は6時から新報を配り始める。睡眠時間と「交換」して築いた同胞からの信頼は大きい。

 「空気」と「雰囲気」。読むことも大事だがもっと大事なことは「作ること」「築くこと」ではないだろうか。(丘)

[朝鮮新報 2007.11.19]